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つ
か
む
ま
で
追
い
か
け
な
が
ら
つ
か
ま
れ
て
ゆ
く
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さがしてる ゆめのいりぐち さがされながら
せめられる、途方にくれる、罪の入り口のむこう側。
たいせつななにかをうしなうかもしれないことへのとてつもないおそろしさ。
この間、銀座で開かれていた絵画の世界のことを、いま思い出しながら、浮かぶことばを掴もうとしたけれどこころに受けたつよい印象以上のことばがみつからない。
父の高校時代からの畏友、画家面高春海氏の個展におじゃました。
面高氏は、昭和11年に満州の大連でお生まれになった。
57歳の時に、サラリーマンから画家に転身されたという、鮮やかな経歴をお持ちの方で、以前父から氏の話を聞く度に、いちど絵を拝見したいなって思っていた。
とつぜんの訪問をあたたかく迎え入れてくださってそのやさしさに感謝しながら、ギャラリーに展示された作品と対峙した。
キャンバスの中央を斜めにつらぬく、山吹や赤。
遠景をぐるりと<満鉄>が走り、氏が満州での暮らしで目にされた、あるがままの世界がそこに描かれていた。
<日ソ中立条約を破り、満州に攻め込んだソ連軍に追われ>
ひとしずくの生きる希望をつなごうと、北部の満州から、いのちからがら逃げて来られた<開拓団>の人が描かれている。
面高氏はおさない眼で、彼らの姿を目の当たりにした時の、強烈な衝撃が、忘れられずに、ずっとその想いを温めながら、そんな日本人のことをいつか描きたいと、後年、画家に転身された。
小学校に上がるまで、満州で生活されていてその後、終戦から1年ほど市街戦のはざまを縫うように新京で<身を潜めるように>暮らしていた日々。
氏のあたたかな語り口は、すべてのかなしみを内包された故なのかもしれない。
その景色は70年以上たった今も決してセピアではなく、いきいきとした色を持ってわたしの耳に届いてくる。
以前、父が面高氏の作品は、ピカソのゲルニカを想起させるという感想を抱いたと話してくれたことをふと思い出す。
こんなふうに、今の時代に生きていることの巡り会わせを思うと、<面高春海氏にとってのゲルニカ>を目撃できたことは同時代に生きるものとして、とても幸せなことなのだと、ひしひしと思う。
そして、こころにくさびを打つような、絵画に出会えた
ことは、まっすぐ希望や勇気につながるような気がする。
夏の陽射しがちりちりと肌をさしてゆく。
なにかとてもたいせつなものを刻まれたような感覚をからだのどこかに残しながら。
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