その四一四

 

 






 







 















































 

さかさまの しじまの庭に 積もることばは

 1月のある日、今まで書いてきた文章 などを、失ってしまった。
 そのことを十分に把握するまでに、 1日以上かかって、受け入れるまでに さらに、1日かかったような気がする。
 Web上には確かに存在するのに、目で 確かめられる場所にない。それだけで、 からだがぽかんとしてしまうような、 気分の数日を過ごしていた。
 カスタマーセンターに電話して、その 答えを待っている時。ボブ・マーリーの ♪ワンラブって歌声が耳の中を通過した。
 なんともいえない懐かしさが甦ってきた。
 せっぱつまっていたはずなのに一瞬、 はりつめていたものがゆるんでゆく。

 指で書いていたことは、なんだったのかなっ て。じぶんのすべてのような、ほんの一部の ような。
 でもこの感覚は文章を失ったからではなく て、失う前もよく知っていたことを思い出す。
 なにかを書くということのその最中でさえ、 ひとりどこかに放り出されたような、あの 茫漠とした感じ。
「味わうどころか、落ちつかない寂しさと、
書き上げた後の空虚感」
 そう語っていたパトリック・モディアノ。
 そういう気持ちがわかるというのは、 おこがましいけれど異国で生きる人が、 似た感情を持ちながら、暮らしていることが、 とてつもない力になることを感じた。
 文章をこしらえてもからっぽなんだと 思ったら、それを失ったからって、ねぇと この感覚を面白がろうと思い直す。
 うつろうことは、記憶の中にとじこめて。

       
TOP