その四一五

 

 






 





 















































 

鳥の名を 名づけた人の ゆめの向こうは

 なにもかもを、要約してしまっては、いけないのだと、じぶんにいいきかせつつ。
 なにも、思わない日々に憧れるほど、視覚だけが忙しく、めまぐるしく。
 ひとりの時間をたっぷりと吸い込みたいはずなのに、誰かといっしょに居ることのこころづよさに、飢えていて。
 じぶんの気持ちなんてものは、もうどうでもよくて。
 だからといって、誰かの気持ちのなかのなかに入り込むことは、もっと正しくないことのような気がして。

 眠っても覚めても、同じ景色の中に放り込まれて、それでもただただ日常は過ぎてゆくし。
 日常をないがしろにはできない理由に、取り囲まれている。 
 その取り囲まれている日常こそが、とても大切なことなのだと、教えられる。
 つよく、つよくキーをたたくときの、音が、鳥の足音にも似て聞こえてくる。
 今日、近くのコンビニの帰りに、一羽のめずらしい鳥が、するすると舞い降りて来て、たえず、わたしの何歩か先を歩く。
 ちょこちょこっと歩いてみては、ふいに後ろをふりかえって、こちらを見ている。
 歩道橋の手すりにとびのると、またこっちをふりかえりながら。
 なにかを導くようにしながら、見慣れた道のりをともに帰った。

「鳥の夢」という松永伍一さんの詩集を、めくる。
そこにあった、ことばを、繰り返し読む。
  
 たそがれから<希望>が始まる
 鳥の羽ばたきに合わせて

どうして、わたしじしんが鳥のことに思いを馳せているのかはわからないけれど。
それでも、ひとはたえず何かを思ってなにかを拭おうとしているものなのかもしれない。
 りふじんなできごとには、りゆうはないのだと知らされて。
 跳ぶ鳥が、地上で戯れているそのつかのまの時間をともにわけあったそんなかけがえのない時間だったのかもしれないと思いながら。

       
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