その四一六

 

 





 







 













































 

欠けている こころの端っこ 空に放って

 宇宙の誕生。星の誕生。今日や誰かの誕生。
 2月の初め恥ずかしながら誕生日を迎えて、あらためてじぶんが歩いてきた道すがら、出会った人たちのことを思い出したりして、なつかしくそわそわした気分になった。
 先日、山梨学院に伺って、春の声がそこまで聞こえているような、空に出会う。
 いつか、映画のなかで聞いた「空の空すべて空なり」という言葉は、映像の中とじぶんのなかではうまくぴんとが合わなかったけれど、そのことが目の中まで染まってしまいそうな体験をしてはじめて実感が湧いた

 今が2月であることを忘れてしまいそうな、陽気のなかに身を沈ませていると、うっすらと晴れやかな気持ちになってくる。
 酒折連歌賞の授賞式で、受賞者の皆様とはじめてお目にかかる。
 紙に書かれた17文字の片歌作品を拝見しているときには、どんな方なんだろうと思いながら、そこに描かれた世界観とだけ対峙している。
 でも実際にお目にかかると、ほんとうにその方々がどんなふうにして作品を拵えたのかが、目に見えない時間のようなものまでが、みえてくるようで、面白い。

 片歌は問いがあるだけではいつもひとりのようなものだけれど、答えの片歌に出会うことで、やっとひとつになって、ループのような弧を描くものなんだなと。
 この間、日野原重明先生のエッセイを拝読していたら、そんな思いに寄り添っているようなひとつの言葉に出会った。
<1日また1日と生きる人間ひとはみな、「弧」。不完全な存在。不完全な円は次の世代また次の世代によって、ようやく「円」となり、完成するのでしょう>
 ひとりだけど、ひとはひとりじゃないパーツでできていて、いつもどこか馴染のいい半分の欠片を探してみたくなるもんなんだなって。
 あるしゅの沈黙を誘う文章に出会って、目が覚めそうになった如月の午後でした。

       
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