その四一七

 

 





 





 

















































 

夜が明ける あけてゆくまま 更け行く夜は

 日差しの中に、春もあってまだ冬の名残も感じられて。
アジサイがすこしずつ緑色に芽吹いているのをみると、時間は、機嫌よく明日へ明日へと進んでいるようで、つかのま、安堵したりする。
 地面に生を享け、そこで育ってゆく花々にとって、その地は、ホームだなって思うと。その向こう岸に位置する、あじさいにとってのアウェイはどこだろうと、思って、そんなものはどこにもなくて。花にとってはすべて咲いている場所がホームなんだと、ふたたびつかのま気づく。

 つい、この前までは巷でよく耳にするアウェイ感ってこういうことなのかなっていう時間を過ごして、そんなことをここに書こうかなって思っていたけれど、しばらく時間が経つと、そんなことはどうでもよくなっていた。
 それよりも、なんとなく「物語」という言葉がここのところ、ちらちらと頭のすみを掠めている。
 それは、だれのものでだれのものでもないものなのか。
 日常を暮らしているときに、そこに「物語」は存在するのか。よくわからなくなって、いた。
 なにかが、わからなくなった時、いつも古い雑誌をランダムにめくって、しまうくせがあって、今もそれをしながら、こうしてことばを綴っている。

 ラフカディオ・ハーンが日本に来る前にマルティニックに住んでいた時があるらしく、そのときに、彼が熱病に
罹っていた時の文章のあちらこちらにくぎ付けになった。
 <なんだかギラギラ照っているる青空が、自分の頭の中に落ちてくるような気がする。>
 カリブ海と大西洋に挟まれた彼だけに見えている見ている熱帯の世界の描写に、引き込まれる。
<思考が朦朧><世界じゅうが炎になって燃え出したのだろうか>。どれをとっても、なにか景色の断片のようなものだけれど。
まだなにか作品になるまえの吐息のようなものに惹かれてゆく。かぎかっこの中に、お行儀よくおさまっている「物語」よりも、かぎかっこから、はみ出たがっている、なにか思いの欠片のようなものばかりを、拾い集めてみたい気持ちに、そそのかされながら。
 

       
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