その四二一

 

 





 






 



















































 

夕まぐれ ただちょっとだけ 蝸牛のような

 なくしたとおもっていたはずのものが、思いがけなくもどってきたとき、もうすでになくしたことの感覚の方があたりまえになっていたので、それと対峙した時には、何に遭遇しているのかわからなくて、じわじわと時差を帯びてうれしさが追いかけてきた。

 この間、作家のギュンター・グラスさんが亡くなったというニュースを聞いて、また紐解きたくなった一冊の本があった。
 以前、クリスマスに頂いた「本を読まない人への贈り物」という彼の水彩画と詩集がひとつになったもので、ページをめくるたびに、いつもは存在すら気にしていないようなこころのいちぶがしげきされて、しゅんとしゃがみたくなる。

 訳者の飯吉光夫氏の解説によると、ギュンター・グラス
さんは<少年時代から絵心があり、画家になることを夢見ていた>と、記されている。
「ブリキの太鼓」の少年の激しい怒りのイメージは、すべて沈殿して、そのうわずみ液の透明さでもって、表現されているような。
<本をよまない人への贈り物、例えば――>から始まる、
その水彩画は、かたつむりや曲がった釘のオブジェが色彩豊かに描かれている。
 グラスさん愛用のパイプや、マッチの軸のいちばん上の
ぼうしのところが黒くなっているものが、いくつも捨てられている様子に少しだけ気をゆるしていたら、ふいに鍵の束のようなものが、目に飛び込んでくる。
 大きいものと中くらいのものとさらにちいさいものが3つ、連なっている。その詩を読むと、これは空襲で唯一失わなかった<地下室の鉄製の鍵>だと知って、胸がざわざわとする。
水彩画というとてもさらさらとしたものにみえる、その裏側に忘れられない記憶が、しっかりと重みを携えてそこにあること。
 最後のページは雪で氷ついた庭が描かれて、<ぼくがキュッキュッと雪を踏みしめながらつけた足跡>という詩で締めくくられている。
 グラスさんの足跡が遥かはるかに続いているようなそんな思いを巡らしながら。

 

       
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