その四三〇

 

 






 





 






























































 

太陽が こしらえてゆく ひとりといっぴき

 そういえば、あの黒猫はよく空足を踏んでいたなって思う。
 あの姿はとても滑稽で、愛らしくて、忘れられない。
 玄関の靴箱の上にのぼろうとして、ちょっと高さをまちがえたのか、ほんの何センチほどか前に着地してしまったとき。
 彼は、おもむろに片足をあげて、毛づくろいを始めた。
 はじめはなんの意味なんだろうと思いながら、その瞬間、ちょっと勘違いしたことが、彼は恥ずかしくて気まりが悪いんだなって思って、わたしはそのことを見なかったことのようにして、その場所から去った。

 猫が空足を踏むなんて、知らなかったから。
 そのことを目撃してしまったことが、なにか彼の隠したいことを密かに共有しているみたいで、一段と彼との距離が縮まったような気がする。
 その距離はかぎりなく人に近づいているけれど、わたしたちと微妙な間隔を保ちながら、均衡を保っていた。
 
 たとえば、人が深夜の階段で空足を踏むときの、あのあったはずのものがそこにないことの、妙な感覚は、ふいにちがう次元の扉を開けてしまったみたいに、むこうの世界がこっちに近づいている
ように思える。
 そういうことがあってもいいんじゃないかと、空足を踏んだ後に考えているじぶんがいることに、ふたたび驚く。

 今彼が生きていたら、こっそりとあの空足を踏む場面に遭遇したいなって思う。
 あのときわたしは見て見ぬふりをしたけれど。
 でも、彼がいなくなってから、わたしもありとあらゆる場面で空足を踏んできたことがよみがえる。
 それはそれはおもむろに毛づくろいしたくなっている気分にあまりにも似て。

       
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