その四三五

 

 

 






 






 



































































 

すなふきん 耳かたむけて ひとりとひとり

 雨もやんで、散らかる葉っぱを片づけていたら庭にずっと棲んでいる、昔の井戸の名残のコンクリートの上に、スナフキンが座っていた。
 座っているのはもう十五年も前からだから、知っていたのに、ふいにあ、ここにスナフキンと思って。ずっと忘れていたことも忘れていて。
 宝物をみつけたみたいに、うれしくなって、しばらく緑色の帽子を被って、椅子に腰かけている姿をみていた。
 吟遊詩人で、とても自由を愛するのにどこにもいかないで、家の庭にいるんだと思ったら、おかしくなってきた。
人形なのにいのちを持っているみたいな風情で腰かけて。

 それからいくつかあるムーミン特集の雑誌を開く。フィンランド生まれのこの童話は、フィンランドの島に住む人々のおもいがあちらこちらに散りばめられている。
 テレビで見ていた時も、あのそこはかとない寂しさってなんだったんだろうと思っていたらそのこたえらしきものに、辿り着く。

<宿命的に漆黒の冬をもち、はかない夏はなにより自然とふたりきりになりたいと願う人々>が暮らしているゆえ、<他人の自由も頑固に守ろうとする>。
 そういう背景がちゃんと物語のなかに込められていたことを知った。
<ここは、かくれ場所であって、しかもあけっぴろげでした。自分を見守ることができるのは、鳥だけなんです。>

 この潔いまでの風とおしのよさに惹かれてゆく。
 いつも誰かがそばにいるわけじゃないけど、それは孤独ではないし、孤高だけれどいつでもひとりにもふたりにもなれることが、すてきだと思う。
 もしかしたら、こういう世界がずっと続いていくことこそが、なによりのへいわなのかもしれないって思うそばからスナフキンがなにかとても言いたそうな顔をしながら、耳を傾けてくれていた。

       
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