その四五五

 

 






 







 

























































 

風だけを うけとめてゆく ほら銀色の

 モビールの動く広場。風がふくままにゆらされる銀色のひし形のそれをみながら、いろいろなことになやまされているじぶんをいちどここで解放しようと試みる。

 ただの物体なのにそこにまるで意味がこめられているように、ゆれている。
 途中まですすんだはずのものがまた引き戻ってきたり。それもふくめてぜんぶじかんのなかで、いきいきとたゆたっていることを感じていたら、さっきまでとはすこしちがう位置にじぶんが立っているみたいで、余白を感じる。

 じぶんなりに正直に綴ったことが、いとも簡単にスルーされて、その言葉というか記憶が、まるでなかったことのように、処理されたことがあって。
 あれはなんだったんだろうと、もやもやとしていた。
 
 そんな時に出会った武田砂鉄さんの
<言葉は人の動きや思考を仕切り直すために存在する
べきで、信頼よりも打破のために使われるべきだと思う>
 という言葉に、からだとこころが傾いてゆく。
 言葉はほんとうはもっと道具でもいいのかもしれないと思いなおす。
 じっと立ち止まるだけではなくて、つぎに進むための言葉。なにかを言うためには、うっすらを張り付いていることばのすぐ真上の薄い膜を覆いはがすこと。
紋切型を打破しなければいけないのだと気づかされる。
武田砂鉄さんのことばの衝撃と清涼感。

 よくわからないけれど、そんなことを思っていたら空と木々のどこかでウグイスが啼いた。
 今年初めてのウグイスの声に、わけもなく救われる。
 じぶんとはちがう生き物の声に触れていることへの共感なのか、よくわからないけれど。
 なにかよくわからない出来事に救われることはたしかに
あるのだなと、思いながら、くるくると勢いよくまわりだしたモビール広場をあとにした。

       
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