その四五九

 

 






 






 


























































 

空振りの ちいさなこぶし 返す手のひら

 <春だ、春だ、本当に春だ。
  自分は歩きながらそう思った。
  自分は春が好きだ。昔は春になると淋しかった。
  お貞さんとわかれたのが春だったから。
  今は春らしいものはのこらず好きだ。>

 なんとなく武者小路実篤の<春だ>を読んですこしだけ笑った。
 この後、この詩人は春を擬人化して、どこか春に好かれたい気持ちいっぱいに語りかける。
 そしてそのことを春が知った時にそれは満足し得ないかもしれないことにまで、気を遣いながら。
 無垢と呼んでいいのか、無垢の足先が向かっているその不器用な行方にまで、思いめぐらせてしまいそうになる。
 経験値の高さと、まっしろな気持ちのバランスが面白い。

 この詩に、引きずられたのは、たぶんこの間とあるおじさんと<春がきらい>という話で、落ちついてしまったからだ。
 そのおじさんにわたしは、納得のいかないささいなことで、電話口で口げんかのようなことになっていて、翌日実際、会ったときには、言い足りなかったことをすべて吐露してしまおうと思っていた。
 おじさんの家のチャイムを鳴らしたところでも、そのちいさなこころのなかのこぶしはふりあげたままだったのに、こんにちはと顔を見合わせたとたんにそのおじさんは、昨日の怒った口調も別人のように、にこやかに対応してきたのだ
 そのときおじさんとわたしがいる場所には海辺のような風が吹き荒れていた。<風が、ここ最近すごいですね。ぼくはここの春がきらいなんですよ>っておじさんが言ったそのせつな<わたしも春がきらいなんです>
 っておじさんの言葉に気が付くと同意していた。
<わたしは山口の生まれでしてね。山口の春はいいですよ>って生まれ故郷の話にまで、耳を傾けることになってしまった。
 生きているとたいてい予想を裏切る出来事に出会ってしまうものなのだ。本来なら、おじさんを言い負かす勢いだったのに。
 ちいさくふりあげていたこぶしのゆくえは、ひどい春の風のなかに紛れて行った。

       
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