その四六〇

 

 






 







 



























































 

きずぐちは 記憶のあかし 死んでも生きて

 人の死はいつだって思いがけないものだけれど、
蜷川幸雄さんの死をニュースで知って、すこしぼんやり
とした気持ちになっていた。

<新神戸・オリエンタルホテルの二十九階の窓から下を見下ろすと、家々の屋根が、どこまでもどこまでもつらなっています。手元にある投稿された短歌の原稿は、それらの屋根と屋根のすき間から舞い上がってきた悲鳴のようにさえ思えます。短歌という制約を持った歌は、その制約をこそバネとするのでしょうか。>

 クロゼットの奥から引っ張り出してきた<文芸誌・鳩よ!>。
 27年ほど前、わたしが投稿ばかりに精を出していた頃、はじめて拙歌を選んでくださったのが、蜷川幸雄さんだった。
 はじめは蜷川さんの舞台演出での熱を放つ力を、雑誌などのうわさで聞いていただけに、短歌の選者である蜷川さんにわけのわからない不安とおそれを感じていた。
 でも、どこにも所属していなかったわたしはそんな他流
試合をこなすことでしか、短歌とのつながりがみつけられ
なくて、毎月何首かの歌を詠んでは、<鳩よ!>の編集部
宛てに送り続けていた。

 冒頭ちかくの蜷川さんの文章は、そのコーナーで採用してくださった時の文章だった。
 応募作に対して、たくさんのダメだしや言葉の上での
<灰皿>が、短歌めがけて飛んでくるかもしれないことを
想像していたわたしは、その真摯さにこころ打たれたことを思い出す。

 いつもいつも選ばれることはなかったけれど、蜷川さんに頂いた短歌への評語はいま読み返すと、ほんとうに励みになることばかりだった。
 蜷川さんはいつも<短歌たち>と人称化して呼んでいらっしゃったことも、あたたかくて懐かしい。
 あれからずいぶんと時間が経て、今は微力ながらも選考委員を担当させていただきながら、わたしはあの頃の蜷川さんの、選評に対するまっすぐで真摯な姿勢を保てているのかどうか、途端に自身がなくなってしまって。
 今、バックナンバーをしずかにめくりながらいろいろな
想いに取り囲まれている。
 こころのずっと奥底に響いてくるような蜷川さんの肉声がいま一瞬、聞こえたような気がしていた。

       
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