その四六一

 

 






 







 



























































 

あの空の ほしをつないで みじかく祈る

 ひさしぶりに、折り紙を折る。
 なんとなくおちつかない日々が続いていたのでなにげなく、鶴を折ってみた。
 折ってみようと試みたっていうのがいち正しいかも
しれない。

 むかしむかし祖母に折り紙で鶴を折る方法を教わった
時のことをぼんやりとおもいだしながら、折ってみたらとてもおかしな形になってしまって。
 ふと、羽根と頭の位置にあやまりがあったことに気づく。
 祖母にならっていたころも、自力ではあまり折れなかったかもしれないことを思い出して、すこしぼうぜんとした。

 ちいさな折り紙が幾枚も重ねられた袋の包みの裏に、書かれている鶴の折り方を、みながら折っていたら、美しくはないけれど、鶴らしい形におちついた。
 そのせつな、ふいに祖母の指の形や爪の皺などが、浮かんできた。
「折り紙はかどが事なのよ」って声までもがどこからか聞こえてきて、まったくその通りだと、何十年も経って気づかされた。
 祖母のつくる三角形の角は、ほんとうに折り紙の裏の白がでていなかったことの記憶までもが引き出されてきた。

 夜眠れない時、ベッドの上で折っていると、ふしぎなことにわたしの指先からあのときの祖母のゆびさきにつながっているような気がしてきて、しだいに気持ちがおちついてゆく。
 折るという行為は、祈りの行為に似ていることを体感しながら、一羽ずつ折ることが何日かの習慣になっていた。
 祖母の指とわたしの指がひとつになって鶴を折っていたわけではないのに。まるでいまひとつになって鶴を折っている気持ちになるのはなぜだろうと思いながら。

 いつか読んだことのある女性詩人の方の作品もそのようなことが綴られていたことを思い出す。
 指から指へ、あちらからこちらの真夜中へ。
ちいさくてとうめいのみえないつるが、そっと羽根をやすめにここに降りてきてくれたのかもしれないと夢想しつつ。

 

       
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