その四六五

 

 






 






 






























































 

あてもなく 列車がゆくよ どこかへ誰かと

 つい近くの道にあたらしい道ができた。
引っ越してきた17年ほどまえは、そこにはたしかに一件のお家があって、そこに住んでいるとても礼儀正しいひとりずまいの男の方ともお話をしたことがあったのだけれど。
 そこの家は、立て壊されてしまって道になった。

 今まで知っているはずの道がまるでちがう位相をみせているとき、すこしどこか異次元へと迷い込んだような気持ちになる。
 ただ家が建て替わったというときとちがって、地面からねこそぎ別のものになってしまうという体験は、あたまがぐるっとなってしまうような感覚にみちている。
 
 ちいさな喫茶店で、手に取った絵の集まった雑誌。
 なにげなくページをめくると、4枚のモノクロの絵に出会った。ちょうど窓の外の雨とおなじぐらい、グレーに満ちていて、おちついた画風だった。
 そこに描かれているのは、橋の上のガス灯のようなものと傘をさして歩いている幾人と、あと異国のアパートのようなものや、誰もこないような駅舎と誰かを乗せた列車が蒸気をあげながらゆっくりと走りぬけてゆく様子。そしてさいごの一枚は小高い丘の上に木がいっぽんたっているだけの、それいがいに何の情報もないしずかな絵。

 いちまいいちまいにすこしだけ、つぶやいている言葉がついているのだけれど。それがまた、とてもしずかな口調で、綴られていて。
 4枚の絵のなかのことばをひろう。<ここはどこなのか>
<ここではないどこかへ><なぜここにいるのか>と、
<見知らぬ答えを探してる>。
 なにかに迷いながら道を探し続けている誰かの視線がそのまま絵の中に包まれているようなそんな作品。
 4枚のその絵の中に答えはないはずなのに、もうここにちゃんとこの作者の答えが、ひそんでいるようで、いつまでも、眼の中にやきついて離れない
 雨の日に雨の絵をじっと見ていると、絵の中のほうがほんとうのような気がしてくる。
 

       
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