その四七三

 

 




 







 

































































 

どうしてって 砕けた声が くだけたままで

 わからないけれど。
 たぶん、人の声っていうのもそのひとが時間を重ねてきた、履歴なんだなって想った。

 声の出し方や、話し方は単なるその人のくせみたいなものだと思っていたので、そんなにというか全然気にしたことはなかったけれど。

 そうじゃないらしいってことを、この間知った。
 それは開高健さんのことについて書いてある文章だった。
<無口な人の声では絶対にない声。長年、人との大きな
声でやり取りして、はじめて獲得されたであろう声>
 っていう文章に出会った時、ぜんぶがいまわかったようなそんな気がして。うれしいというのとも違うなんだか感情未然というような感覚に包まれた。

 ずっと昔に見たドキュメンタリー番組でのあの「釣り」に対しての熱情を超えた、むきだしの熱そのものみたいな彼の、言葉が発せられた時を思い出す。
 誰にも似ていないぐらいの豪快さに、父性だけを見出しながら彼の姿を眺めていたこともあったような。

 開高健が死の直前に書き遺した『珠玉』のページを久しぶりに開いてみる。折れ曲がったオレンジの付箋が貼ってあった「掌のなかの海」という作品。
<ロウソクの灯りが、あやうげに、ゆらゆらし、まばたいた>
 主人公は石をこよなく愛している「先生」に誘われて彼の下宿へと足を運ぶ。そこで海の色をした青い石と出会う。
 その石はロウソクの灯りに照らされて<闇というものの
ない大都市の夜の光が石を海にした。掌の中に海があらわ
れた>
 もし耳でこの文章を聞いたとしたらどんな感じだったろうと夢想したその刹那、その思いはすぐに波に砕けることを知る。声って、やっぱり誰もはかりしれない履歴なのかもしれないと。

 

       
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