その四七九

 

 






 






 



































































 

のどぼどけ 錨のように 落ちてゆくとき

 一人暮らしをはじめてした頃、料理することは、そんなにすきじゃなかったのに、なぜかすきだったのが、レシピ本を読むことだった。
 作りもしないのにやたら料理に関する本ばかりが、キッチンの脇のお鍋なんかを入れておく場所に、積みあげて置いてあった。
 あの頃に似た感覚が今日、すこしだけ蘇ってきた。
 
 丸い白いお皿のふちににレモンやチャイブやタラゴンがあしらわれていて。お皿の真ん中には、ほどい緑色のとろみのあるソースが、なにかグリーンハーブとともに、注がれていた。
そのキャプションには、<レモン・ジュースとレモン・ピール、チャイブまたはエシャロット、たくさんのパセリ、オリーヴオイル、胡椒に塩、大量の大蒜、新鮮な香草と綴られている、とてもシンプルなものだった。

ジョン・ケージの『われわれはどこで食べているのか? そして何を食べているのか?』を参考にして作られた、<ヴァルダのグリーン・ソース>と名付けられた料理だった。
 見ているだけでいい料理っていうのが世の中にはあって。それがほんとうにおいしいかどうかはあんまり関係ないのかもしれない。
 それだけの素材で、なにかおいしそうに見えるものが一皿できあがることの魔法のようなプロセスにわくわくしてしまう。
 
<バター、塩、胡椒で野菜のホイル焼き、じぶんで集めたサラダ菜で、大きな木のボールを一杯にする濃いクリーム、ライム、塩、茸のケチャップ(つくるには二年かかる)>
 なんていう孤高。誰かみんなといっしょの時じゃなくて、ひとりでなにかを食べている時の姿が、孤独だけど、幸せそうに見える人に、憧れがある。
 すきだったPR誌「花椿」の昔のページをめくりながら、あのひとは今頃どこでなにを食べているだろうと、思い描いてみたりする。

 

 

 

 

 

 

 

       
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