その四八四

 

 




 






 











































































 

もういちど 空を見上げて ことばをのんで

 おもいがけず、酸っぱいものを口にしてそれはもともと酸っぱい食べ物だったのに、どこかで甘いものだという思いが先走っていたので、その酸っぱささに新鮮なものを感じた。

 この間、久しぶりに会話したひとがいて。
 それはそれで、ふつうにすこやかに時間は、過ぎていったのだけれど。
 あとあと知ったことだから、いまとなっては、どうしようもないけれど。
 どうもその人は、あることをほめてほしかったのだと、その人をよく知る人から気づかされた。
 わたしは何度もその会話の中で機会があったらしいのに、スルーしつづけて、さよならをしたみたいなのだ。

 その人の着ていたシャツはローズ柄で、とてもすてきだったし、いつも似合うものを着ているので殊更にほめるのもどうかとおもって、触れないでいた。でも、それはそれでちゃんと、いいですねって言ってあげなければいけなかったんだなって。
 
 その人がおよそ、ほめられたい風情の人ではなかったから、とてもその感情が新鮮で。あらたなアングルから、その人をキャッチしたような気分だった。

 そんな日の夜、ある文章が目にとまる。
アリス・マンローの小説『ジュリエット』を書評した言葉。その小説は人生そのもののようだと。なぜなら分岐点となる出来事がまるで実人生で起こった時のように、<自然な手つき>で描かれている、と。そうなのかもしれないと思う。人の分岐点って振り返った時にしかわからないものだし。でもそれがまるで分岐点の顔をしていないことの方が多いから、ほんとうに、おっかなくてやっかいなんだけれど。

 人の感情のみえない襞に触れたような日だったのでそんな思いが夜駆け巡っていた。

       
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