その五〇九

 

 




 







 



























































































 

せせらぎの はるかな声と 無垢なひづめと

 眠るとあまりよくない夢をみそうなとき、映画をついつい見てしまう。
 この間、夜更かしながらでもみたかったのは、パク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』。
 はじまりのシーンから、なにかがもうすでに起こってしまった後のことを描いている、不穏な感じが伝わってきて、胸騒ぎがする。
 普通の女の子のファッションのようにみえて、どこかなにかがちがうのは、彼女が<ママのブラウス>に<パパのベルトを締め>、<靴は叔父の贈り物>だったから。

<私の耳はとても鋭く、私の目は遠く離れた小さな物も見逃さない>
 インディアという名の彼女がしずかに踊るように語る。
<私は救われたい、満たされたい>
 と云いながらとつぜん<スカートにも風が必要だ。
私じゃないものが私を作る>と告げる。
 野生の知性みたいなものを携えているインディア。
たえずなにかに、違和を感じているから息苦しくて。
 誰にでも経験したことのあるような思春期と呼ばれるころの出来事かもしれないけれど。
 インディアが持っているのは、あまりにも無垢な野性性だったことで、みているこっち側では、共感を越えて
ただただ息をころして見守るしかなくなってしまう。
 むかしみたテレビ「野生の王国」みたいだなって思う。
 獣たちのひたむきさを内包した少女がすこしまぶしい。
<花が色を選べないように、人は自分を選べない。
それに気づけば自由になれる。大人になると解き放たれるのだ>
 すべてのシーンを見終えた後。はじまりのことばをもういちど、目でなぞる。
 おわりとはじまりが円環していることを気づかせてくれる。そして私もどこか解放された気分になって、風通しのよさを感じながらも、
<大人になると解き放たれるのだ>というさいごの言葉に立ち止まりたくなる。
おとなになってしまうとそんな日々はそんなに多くないことを知っている私は、みえないくさびをどこかに打たれたような思いに駆られた。

       
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