その五一二

 

 






 







 




























































































 

ゆびとゆび ひらいたあとに たねがこぼれて

うんめいのようにでたらめに開いたページに書かれたことばが、じぶんのいまの思いにさくさくと突き刺さることがある。

 さっきもそういう経験をしたばかり。
<生を生きた無名の空間であり、無名ということは
 すべての人の空間でもある、
 そんな風景が
 土から見えてきました。>

 これは美術家の内藤礼さんのことばだった。
<約210年前頃に建てられた民家を一軒、庭も含めて丸
ごと作品にした>ときの経過で出会った感覚をお話されて
いるインタビューの中で出会った。
<最初に誰かが住みはじめた、建ったときの形に近づけよ
うと、天井と床をとってもらった>際、目の当たりにされ
たむきだしのままの土。そこから発する声のようなものを、
受け取った内藤さんのことばに、ひきこまれていった。

 そういう長い年月の暮らしをずっと見てきていたのは。
地面の土だったのだろうという思い。
 たのしいこともかなしいこともぜんぶその土が、吸収し
ながら、家のどだいを支えていたことに思いを馳せる。
 内藤さんは、その空間こそが<生を生きた無名の空間で
あり、無名ということはすべての人の空間でもある>
 とおっしゃっている。

 その土はいのちの源でもあって、無名であることすら意識もしていない、とても力強い場所であることを、わたしは感じ取る。
 さらさらと流れ去ってゆくことをゆるさないような、たしかな土。なんども踏みしめられたあとの、かたくなさをしんじてしまいたくなる。
その土は。濃密な時間の積み重ねがそこにあることを、ひっそりと、内包しながら、年月を重ね続けて。無名という存在感をわたしたちに伝えているような気がする。

 ことしもうたたね日記に、おつきあい頂きまして、
 ありがとうございました。
 こころにふれるなにかをこれからも連歌と共に綴って
 いけたらと思っています。
 これからもうたたね日記をどうぞよろしくお願いいたします。               

                    もりまりこ

       
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