ゆびとゆび ひらいたあとに たねがこぼれて
うんめいのようにでたらめに開いたページに書かれたことばが、じぶんのいまの思いにさくさくと突き刺さることがある。
さっきもそういう経験をしたばかり。
<生を生きた無名の空間であり、無名ということは
すべての人の空間でもある、
そんな風景が
土から見えてきました。>
これは美術家の内藤礼さんのことばだった。
<約210年前頃に建てられた民家を一軒、庭も含めて丸
ごと作品にした>ときの経過で出会った感覚をお話されて
いるインタビューの中で出会った。
<最初に誰かが住みはじめた、建ったときの形に近づけよ
うと、天井と床をとってもらった>際、目の当たりにされ
たむきだしのままの土。そこから発する声のようなものを、
受け取った内藤さんのことばに、ひきこまれていった。
そういう長い年月の暮らしをずっと見てきていたのは。
地面の土だったのだろうという思い。
たのしいこともかなしいこともぜんぶその土が、吸収し
ながら、家のどだいを支えていたことに思いを馳せる。
内藤さんは、その空間こそが<生を生きた無名の空間で
あり、無名ということはすべての人の空間でもある>
とおっしゃっている。
その土はいのちの源でもあって、無名であることすら意識もしていない、とても力強い場所であることを、わたしは感じ取る。
さらさらと流れ去ってゆくことをゆるさないような、たしかな土。なんども踏みしめられたあとの、かたくなさをしんじてしまいたくなる。
その土は。濃密な時間の積み重ねがそこにあることを、ひっそりと、内包しながら、年月を重ね続けて。無名という存在感をわたしたちに伝えているような気がする。
ことしもうたたね日記に、おつきあい頂きまして、
ありがとうございました。
こころにふれるなにかをこれからも連歌と共に綴って
いけたらと思っています。
これからもうたたね日記をどうぞよろしくお願いいたします。
もりまりこ |