その五二八

 

 






 






 
































































































 

どこからか 香るにおいは 声のようでした

 この季節になると、風の匂いに色濃く海の香りがまじってくる。
 湿気の多い日は、とくにそうで。洗濯物は乾きにくいけれど、それでも夏が近づいていることだけは確
かで。
 ほったらかしの庭に泰山木がいくつかつぼみをつけては梅雨の最中にひとりひっそり咲いていて。
 晴れた次の日なんかに窓をあけると、<咲いてました>ってふうでこっちに純白の花びらをみせてくれている。
 むかしいっしょに大阪で暮らしていた祖母がすきだった泰山木は、こっちに越してきたときに必ず植えようねって母と約束して、いまだに元気に咲いてくれる。

 ふしぎだけれど、泰山木を見るともうすでに亡くなっている祖母とどこかみえない糸でむすばれながら、話をしているような気持ちに駆られたりして。
 咲いている間は、短いけれど。かくじつに見守られているような気持ちになってくる。

 血のつながりだけを信じているわけではないけれど。
 祖母がいて母がいてわたしがいることのその一本のささやかな線。それについては、どこかで信じているところがあって。
 編み物を習ったり、折り紙で鶴を折ったり、カーテンレールのつけかたを教えてくれたり、のこぎりの引き方やミ
シンの踏み方を教えてくれた時にふれていた指が、いまもわたしの身体のどこかにその感触が残っている感じがしている。

 玄関に生けてある百合が夜になると香っています。
 イタリア生まれの赤いユリです。 夜になっても廊下いっぱい匂っていて、香りって花の声なんだなって思った真夜中です。

       
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