その五三九

 

 






 






 



































































































 

昇降機 ひとりふたりと 降りぎわの風

 木立のなかでフードを被った10代くらいの女の子が、
こっちを向いて笑ってる。フードが風に吹き飛ばされそうなのか、両耳あたりを手で押さえながら。
いい写真だなって思いながら、キャプションに目を通す。
撮ったのはカメラマンでお母さんのヘルシンキ在住の方だった。
ちゃんとファインダーを覗いていた時の視線が、まるごとべクトルまっすぐだった。

 タイトルも、<何もかもさらけ出せる関係>となってい
て、彼女にとっての家族についてのアンサーがそこにあっ
た。そんなページを読みながら、ふいに友人の家の靴箱の上の写真立てを思い出す。そこには重なるように家族写真が、立てかけられていた。
そのとき、彼女はあたらしい家族をみんなでこしらえたんだなっていう感想を持った。そこの写真の中に写っているちいさな女の子は、可笑しくて仕方ないって顔でわたしの友人を見上げて笑っていた。
まぶしい視線を放ちながら。

 そこで思い出しのが、大好きな小説からの一節。
<東京で出会うのはほとんどがゆきずりの視線だ>
いつも思い当たる節に辿り着かせてくれる彼の小説は、その一行に出逢っただけでも立ち止まってしまいたくなる。
おそろしくもすがすがしいのだけれど、主人公が語るように、ゆきずりの視線だけが行き交っているのが日常であることに気づかされる。

 いつも乗っているデパートのエレベーターでさえ、同じ
顔ぶれだったことはない。だけど、時折右端によってみんなの階を押しているとき、彼らが所定の階で降りてゆくとき、頭を下げてお礼を言ってくれる時に視線が合う時など、すこしだけやさしい気持ちになったりする。
ゆきずりだけど視線と声をかわすときに、一瞬流れる直線ではなくゆるやかな波線のような空気。
ある日、エレベーターの中で見知らぬおじいさんが孫ぐらいの歳の男の子に喋りかける。
「ほら、靴紐、ほどけてるよ」
サッカーの練習帰りみたいな風情の男の子は、すぐにしゃ
がんで靴紐をしめなおす。
「ありがとうございます」とキャップを脱いでお礼を言う。たぶんこのおじいさんと男の子の視線は、この先出逢わないかもしれないけれど。それでも、乗り合わせた、ゆきずりのわたしは記憶の中だけで、しばらくふたりがひっそりと生き続けていくような予感がしている。

       
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