その五四〇

 

 






 







 


































































































 

つぶやきが もやっているよ 嘘じゃないけど

青白い洞窟、ロストリバーデルタの中で、リバースポーツ
をしている男の人の映像が瞬間映っていて、見入ってしま
う。
スタンドアップボードの類なのかわからないのだけれど。
夜の暗い洞窟の中で、LEDの灯りを張り巡らせたボードが、軌跡を川面に刻みながら色を描いてゆく。

突然、人の自在すぎる動きにあこがれることがあって、た
ぶんそういうときは、じぶんのどこかにはみだしたいエネ
ルギーを感じてしまっているからかもしれない。

少し昔にみた<パルクール>の時もそうだった。
壁や止まってる車を足掛かりにして、次々に走り去り飛び
去り、あっというまにビルからビルへと障害物を登り乗り
越えてゆく。なんていう疾走感なんだろうって。
いつまでも終わってほしくないな、このグルーヴ感って思ったことを憶えている。

こんなに速度と無縁に生きてきてしまったはずなのに、時
々そんな時間が訪れるのだ。
車窓から見える風景が、すこし遅く感じるとき、ついつい昨日のでたらめな言葉や行いなどが浮かんできたりして、心の底を覗いたような気分にくだってしまう。
でも、かなりなかば暴れ気味に、樹々や民家の風景が去ってゆくときは、どこかすこしだけこれから起こりうる指先ひとつぶんぐらいの未来のことを思えたりする。

ひとって、きっとどこかでじぶんのなかのリズムみたいなものと、その都度折り合いをつけて暮らしているものなのかもしれない。
映画見ていたり、知らない人のはじまりの文章を目にしたり、眼が逢ったりとした時に反射的にきらい、すきっていう感覚は、もしかしたら、唯一じぶんのなかの速度メーターの針が触れている時なのかもしれないなって、思いつつ。

で、さっき天気予報のアプリを見ていたら、わたしの住む町がいつもと違う空の色を映し出していた。なんだろうって思ったら、ひらがなで<もや>って書いてあった。
そういうえば、いつだったかあなたはいつも<もやってる>って、叱られたことを思い出す。
もやっていたのかって、ふりかえりながら、出窓のカーテンを少し開く。<もや>の夕暮れにじぶんをそっとあてはめながら、いまいちばん速度と遠いところにいるのを感じていた。

       
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