その五四七

 

 






 
























 

息を呑む 束の間でさえ 秒針触れて

ふいに冷蔵庫の上の時計をみてみたら、針がとても
信じられない角度で、時間を教えてくれていた。
そんな時間はとっくに朝の役割だったはずなのにっ
て思う間もなく、止まっていることを知った。

壊れたんだ。ボタン電池買いに行かなきゃって思っ
ていながら、それでも不便はしなかったのでほっぽ
らかしていた。

とにかく12月はありとあらゆるものが壊れてゆく。
ホットカーペットもはんぶんつめたくなっていたし。
録画用のハードディスクもほんとうに信じられない
ぐらいに、マルチタスク系がほとんどやられてしまっ
て、ちょっとわらってしまうぐらいにひとつの仕事
しか全うできなくなっていた。そして案の定液晶画
面がマトリックスかつターミネーターのような様相
になってきて、それでもだましだまし使っていた。
録画されたものと離れがたかったためだ。

さらっとマルチタスクとかいうけれど、わたしだっ
て、かなりそういうところだめなわけだし。
そんなわたしからするとずいぶんと頑張ったよねと
なだめながら、年老いたハードディスクと共にいた。

歳をとるって、もしかしてこういうことなのかと思っ
たりしながら、師走のまんなかあたりにいた。
それに12月はちょっとした出来事、人に言われた
言葉が帰ってから妙に気になってあの真相はどこ?
え? 違うよねとかって思ってるうちにすべてが、
ア¥ウェーな気分にまみれていた。いつもこの季節
は呆れるぐらいデジャヴュなのだ。
そういうときに録って置いたシカゴが舞台のハード
な刑事ドラマなんかをみるとすかっとして、睡眠剤
になってくれる。
そして幾日かが過ぎた時、部屋に帰ってなにげなく冷
蔵庫の上の時計をみると。チクタクチクタク動き出し
ていた。秒針が機嫌よく何事もなかったかのようにほ
がらかに動いている。なんかふしぎで。なんどもみいっ
てしまった。
止まってたものも、やがて動き出すんだと知って、そ
の日大切なことを無事終えた母と笑った。
少しその日まで張りつめていたので、時計に励まされ
てる気がしてきて 比喩したくなる。

ふいに寺山修司の言葉が綴られている日記のページに
眼がとまった。
<この世で一番小さな時計は「まだ生まれない赤ちゃ
んの心臓だ」>という囁きを目にしたせつな、ささく
れだったこころに突き刺さる。
ちょっとやられたなって思って、無機質なものだって
みんな時計をその体の中に持っているんだと、感じ入
りながら。今年という時間のどこかを旅するように思
いを馳せていた。

2018年もここに訪れてくださってお目を通してい
ただけたこと、ほんとうに心より感謝申し上げます。
来年も<もりまりこのうたたね日記>をどうぞ
よろしくお願いいたします。
2019年がみなさまにとって、こころもからだも、
すこやかな1年でありますように・・・。

もりまりこ

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