その五五五

 

 






 





 














 

ささくれた 欄干とさび 目にやきつけて

近くの駅がいま、巨大迷路のような趣になっている。
工事中なので、区切られたスペースに沿って歩かない
と、駅にも店にもたどりつけない。
逢魔が時と呼ばれそうな時間帯に駅のコンコースを、
歩いていたら、何人かの高校生らしき女の子たちが、
空に向かってスマホをかざしていた。
つられて空をみる。
満月がうっすらとでていた。満月をみんながいろいろ
なアングルで映している。背中からしか彼女達のこと
はみえなかったけど。
なんとなく真剣だった。
いつだったか、路上カメラマンのエッセイの中で、
<シャッターボタンの微かなストロークのうちに、個
の経験や記憶や情感が当然すべり込む>と綴られてい
て、シャッターを押す行為は、ほとんど放電に近いと
も表現されていた。

スマホで映すからのっぺらなのかっていうとそうじゃ
ないかもしれないって思いつつ、でもいまもその時も
ちょっとのっぺりした写真を想像していたじぶんに、
突然スラッシュが入ったような気持ちになる。
ありとあらゆる音の洪水や行き交う人達の混沌とした
ノイズに近い会話の中で、たぶん彼女たちはいちばん
静かなたたずまいをしていたような気がする。
そしてその姿をずっとみていたわけじゃないけれど、
あ、満月って思って写した感じじゃなくて、なんだか、
ほんとうにまっすぐゆっくり時間をかけて月を狙って
いた。後ろにつづく人たちは、月ではなくてもっと、
ちがうものが彼女達だけに見えているんじゃないかと
いう感じでなんども空と彼女達を振り返りながら確か
める。でも、そこには、満月しかなかった。

路上を歩みながら満月をみあげること。たぶんすさま
じい競争や喧騒のなかで生きているそこを歩くみんな
のこころの中に、月の光がそっと分け入ってゆくよう
な、そんな感覚に陥った。

雑踏は世の中でいちばん嫌いなぐらいな場所なのだけ
れど、その渦中に巻き込まれているとなんとなく倦む
気持ちと同じぐらいの熱量を感じて、歩いているうち
に元気が戻ってくる場所だったりする。
おわることのない日常が、いまもそこにあることへの
安堵感なのかもしれない。

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