その五五九

 

 




 







 















 

追いつけば 陽炎に似た あしたがそこに

一生懸命からだとこころをつかって、じぶん以外の人
になるという訓練を積み上げてきた人がいて、その背
中を必死で追いかけるひとがいて。
そのふたりがどこかで、演じることを共にすることが
あって、まわりの評判もよかったはずだったのに、ふ
たを、あけてみると、そうでもなかったみたいな感じ
に、なっていて。
その背中を追っかけていた人が、あこがれていたその
人に、<芝居ってなんでしょうね>って尋ねたら、そ
の大きな背中の先輩の役者さんが、ぽつりと云う。
<俺だった分かんねぇんだよ>って。

わたしはこのふたりのやりとりが好きで、いつもなん
となく思い出す。
なにがいいのか、じぶんでもよくつかめていないのだ
けれど。たぶん、ひとつは追いかけている背中を持っ
ているその後輩の役者さんのスタンスもすてきだし、
じぶんの思いをあこがれのひとに告げられる、もしく
はぶつけられるその関係性もいいなって思う。
そして、問われた先輩の役者さんがなにかを滔々と、
こういうもんだよと示唆するのではなくて、ちゃんと、
わからないことはわからないと答えるところになんか
しびれてしまう。

いつだったか、わたしが十代の頃に父親のように、接
してくださった方が、おなじように言っていたのを思
い出す。
<がんばってさ、俺なりに追いついたと思うんだよね、
Yさんに。でもさ、追いついたと思った時は、もうY
さんの背中はずっと遠くにあってさ。いつまで経って
も、その距離は埋まらないのよ>
仕事でもどんなことでも、憧れの誰かの背中を追えるっ
て幸せだと思う。
背中を追っている人と背中を見せてる人って、それは、
悩みを抱えている人と解決した人ではないんだなって
いうこと。たがいに今いきていて、ライブで、問いが
たえずじぶんの中にあって、まだふたりとも次元は違
うかもしれないけど、道の途中にあることが、なんか
生きてゆく道しるべのようでなんか、いいなって、
本気で思う。

 

 

 

 

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