その五六三

 

 






 







 















 

こころには たどりつけない しらなかったよ

そこにいることがまちがいだったかもしれないような
夢で目覚めることが時折あって、ちょっとそういう時は
あたりがブルーまじりの空気感にいろどられる。

いま、いろどられるってぽこぽことたいびんぐしながら、
ちょっとうそついたなって思うけど、気持ちと書いている
ことばってぜったい、空気の薄さ分ずれてゆくものだから
放っておく。

いつものように頭をくたくたにしてから寝床に入ろうって
思って、ちゃんと寝る前の腹筋をしようって思っていたら
いつもと世界がちがってた。
ちがってたっていうか、見知ったもの、青緑色のカーテン
や窓枠や天井、和紙のシェードランプやあれやこれやが、
いっしょにまわっていた。たぶん45度刻みで彼らも、揺
れている。揺れは激しくなってこっちがゆれているのか、
むこう側が踊らされているのかさえわからなくなって、
これは三半規管がやられたんだって気づいた。

顔を洗う。髪を洗う。物を拾う。しゃがんで食器を取る。
洗濯槽から洗い立ての洗濯物を取り出す。お風呂の栓を
閉める。こういう他愛のない日常の動作はすべて、前屈で
なりたっていることにいまさら気づく。
前屈は、三半規管をこわしたひとにはちょっとやっかいで、
いちいちぐるぐるが、もれなくついてくる。
初日はさすがにおそるおそるだったけど、幾日か過ぎると
あまりにこの症状に屈していることがあほらしくなってきて、
お風呂洗いに床磨きにとがんがん動いた。つまり垂直運動。

夜中、映画『モン・ロワ〜愛を巡るそれぞれの理由』を、
観る。心も体も傷ついた中年の女性弁護士トニーがスキーの
事故で膝を骨折する。リハビリを兼ねた保養所で主治医の先
生が放った言葉が字幕に映し出されてゆく。
<膝は諦めや譲歩と密接な関係にある。後ろにのみ屈折する
関節だから。膝の痛みは現状を否定する心理と連動する>と。
はじめてこの台詞を目で追った時、なんかあぁと腑に落ちる
感覚が湧き上がって来た。いまキーボードで綴ると、日記帳に
記した時の気分までをも、連れてくる感じ。
観ている側から屈伸したりした。後ろに屈折するっていう
ニュアンスが体感的にいまひとつわからなかったけれど。
そういうことより<諦め、譲歩、痛みと心理>っていう
ところが、そのときの気持ちにいちばん寄り添ってくれて
いるような気がした。それはなにか解決の糸口に立っている
ようなちょっと微かな光が見えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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