その五六七

 

 






 





 

















 

おもいでが ずれてるみたい みんなわらった

なんにもなかったかのようにみえる一日でも
きっとなんかはあったはずなのだ。
だってこういう日記を書こうって思う時も、書く前はちょっと
書けそうなきもちでわくわくしてるってことは、なんかしら
こころがうごいた証なはずで。

でも思いにペンがおいつけなくて、ということなのかもしれない。
選挙に行くために学校にゆく。わたしはこの街にずいぶんと
おとなになってから引っ越してきたので。
その校舎に思い出はないのだけれど。
どこかで過去まなんだ大阪のTという町の学校への道のりを
重ねてあるいたりしている。

思えばわたしには小学校時代3回転校したので3つの学校に
通っていたことになる。なぜか道のなりたちが似ているので
家からいちばん近かった2年だけ通った新設校のS小学校を
思い出したりする。

体育館にそのままの靴であけっぱなしの扉をくぐる。
そのときふと知らない選管委員の人たちの顔をみて、
わたしはずいぶん知らない人ばかりの街に越してきたのだと
あらためて気づかされる。
ハモニカを吹けるようになりたくて部屋にこもっていたあの
部屋はもうないし、水着の上にワンピースを着て夏の水泳教室に
通っていた道はずいぶんまえから遠くになってしまっているし。
坂の上でじゃんけんに負けてみんなの鞄をもたされたけど、
理不尽だよねって思ってほっぽらかして帰って来たあの子たちが
誰だったのか、もう思い出せないけれど。

それで夜。録ってあった映画「パディントン」を見た。
実写だったけどその動きがリアルで。言葉もオッケーなクマなので、
居候させてくれた家族とのコミュニケーションの妙にとっぷりはまり
こんだ。説明すると、そのおかしさはぜんぜん再現できないから
省くけれど。パディントンが家族と一瞬離れ離れになって
ひとりでエスカレーターに乗るシーンがある。
そのときに壁に貼ってはる禁止事項の意味を取り違えて
その文言のままのふるまいでエスカレーターに乗ったシーンを
みたとき、わらった。
こんなにわらえるんだっていうぐらいにわらった。
大げさに言うと、その瞬間位相がずれたって感じ。
それでだいぶ落ち着いてからふと思ったけれど。
ちいさいときはみんな本気で笑ってる。
愛想笑いとかを憶える前の頃はみんな真剣にわらう。
ああいうときって、もしかしたらみんなおとながパディントンに
笑わされてるみたいに、きっと世界が反転したようなそんな
日常を体験しているにちがいないんじゃないかって。
わらうたびに位相がずれてるんじゃないかって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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