その五六八

 

 






 





 

















 

名も知れぬ 花がさいたよ 陽炎まとう

夏は繁茂する草たちとのたたかい。
でもたたかってはいない。ちょっとずるをして草いっぱいな
中庭に目をやってちょっとみてみないふりしてる。

ちょっとボサノバ、ジョアン・ジルベルトでも聞くかって
いうきぶんのまんま、ほんとうになにもしたくないのに
しなければいけない生活のこまごまとしたことは追ってくる
から、しかたないねって思いつつこなしていた。
そうこうしていたら、固定電話がひさしぶりに鳴った。

はじめはちょっとスルーしようかと思っていたら、
おなじ町内会のIさんからだった。
Iさんは、すべてのことをはっきりおっしゃる方で
越してきた頃は、ちょっと苦手かなって思っていたけれど、
その言葉のどれもがみんないつもいつも思っているけれど、
なかなかほんとうのことは口にできないからねって種類の
ものだと気づいてから、Iさんへの敷居が低くなったという
いきさつがあった。
もうご高齢のその方が、久しぶりというかはじめての電話で。
とつぜんでごめんなさいっておっしゃった。
すわクレームかなって思って聞いていたら、お宅のガレージに
百合みたいなピンクの花が咲いているのをずっときれいだなって
散歩の時とかにみせて頂いていたんだけど、今その花がおわった
でしょ、そこにつぼみのようなふくらみができていて、その中に
きっと種があると思うんだけど、もしよかったらその種を頂けな
いかしら?
 という思いがけないリクエストだった。

ガレージに咲いているものは、ほとんど名前はあるんだろうけど
名も知らない。いつのまにかこぼれ種で育成されたものなので、
そういう花に興味をもたれていることにびっくりしながら、
ほったらかしの庭の片隅に咲く名もない花を欲しているひとが
いることに、なんとなくなんか心の中に風が通ったみたいな気持
ちで待っていた。
Iさんは、お忙しいところごめんなさいっておっしゃりながら、
スピードがいのちみたいな風情で、おいしいお出汁だから使って
みてって旅のお土産と共にガレージに向かう。育ててみたいのよ。
種からやってみたいのって今までみたことのない笑顔で
おっしゃった。
だれかのことってほんとうに一面しかみていないんだなって
思った。ほんとうに心底おもった。フラワーショップで売られて
いる花束ではなくて。さして手入れも頑張っていないうちの
ガレージの名前のない花に気をとめているIさんのことが、
すこしずつ輪郭をもちはじめていることに気づいて。
ひとを知るってこういうことかなって、暑いけどちょっといい
夏のはじまりになりそうなそんな気持ちになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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