その五七一

 

 






 







 


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世界には 眠りつづける 街があるって

みなさんの日記ってどういうんだろうって、時折
知らない人のブログを読んだりするけれど。
みんなのまっすぐさにちょっと呼吸がくるしくなったり
するので、やっぱり馴染んだ人のところに指を飛ばす。

その人とは逢ったことはないけれど、サイバー空間では、
お話したりする。その人の作品世界に触れていると、
時折、目で追っていた文章に弾き飛ばされそうになって
もどってこれないかもって一抹の不安を感じながらも、
でもここは居てもいい場所なんだここに居たいなと、
こころのあたりがすうすうする。
読み終えた後も日常のちょっと無防備な姿勢のとき
なんかにその登場人物のことをふいに思い出しては、
物語世界の外に今はいるんだってことに、ありありと
気づかされたりする。
小説を読む楽しみってわたしはそのギャップだと思っ
ているから彼の作品から今目が離せない。

それで、日記。私の場合は困った時の<花椿>。
7年前のものだけれど。そこに執筆されている方の
テーマは<午後3時>で。
いまわたしが開いているのはドラ・トーザンさんという
国際ジャーナリストでエッセイストの方の文章。
<うだるような暑さ、のんびりとしたリズムで時間が
進む地域では、甘くやさしい怠惰に身を預けます>と。
シエスタはおなじみだったけれどそこにはfarnienteと
綴られていて、甘くやさしい怠惰とその言葉がイコール
でつながれている。
イタリア語で<何もしない>を意味するらしい。
どんな音なのかわからないけれど、すてきな響きだと
頭のなかで夢想し耳が音を受け止める。
日本在住の彼女が膝にけがをしたらしく、
トップアスリートたちに交じって、南フランスで
リハビリ中らしい。
もう日記ならこれぐらい、実生活のどこをみても
見当たらないぐらいかけ離れている方がいっそ、
読んでいてリラックスできる。

彼女の日記には<静かに人生に身をゆだねること>、
<そんな落ち着いた生き方を学び直しています>と
結ばれていた。
ゆだねたり、あずけたりを思いっきり、体で感じる
季節ってほんとうはいちばん夏がふさわしいのかも
しれないなって。暑いことを理由にいろいろなものを
とりあえず保留しておくって、悪くないと思う。

Farniennte。
異国の言葉は、こころのなかにほんの少しスペースを
もたらしてくれるから、胸が躍る。
それにすこしだけ<いつか>っていう未来もいっしょに
連れてきてくれるところが、なやましいのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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