その五七三

 

 






 








 














 

逃げてゆく 尻尾の尾だけ 最果ててゆく

目次のない本を読んでいる。どこから開いてもかまわないっ
てことなんだなって、きもちゆるやかにしながら。
42ページの<断章>63のあたり。

<肉体的な眩暈の場合、外の世界はわれわれのまわりで回転
している。精神的眩暈の場合、回転するのは私たちの内的世
界の方だ>

偶然に開いたページ。
なのに、きもちゆるやかどころか、ざわつく。
ついこの間までひどい眩暈におそわれていたじぶんが、まだ
そこにいるようでちょっとたじろぎながら、目で追う。
そのページの隣から透けて見えているのは、山高帽を被った
背の高い紳士、たぶん詩人である著者と少し彼よりは背の低
い紳士が、歩いている連写されたように続くフィルム。
話し声は聞こえなくても、なにか話している風情の写真って、
いいなって思う。

まわる。輪のなかに。円環する。
ケルト神話が込められたドラマの中に輪の話がでてくる。
<何世紀にも渡って人間は輪に魅せられ、そこに意味を見出
してきた。惑星が太陽の廻りを回る軌道の輪。時計の針が描
く輪・・・>

自分以外の世界がまわるのか。じぶんが回るのか。これって
似て非なるものだとその詩人は言う。そして先のドラマの主
人公もまわることについて、考察する。
とっくに忘れていたけれどにんげんはずっと長い間、まわる
ことと共存してきたことに気づかされる。
じぶんがまわるって<諸物の真の関係の意識を失>うって、
こわいよってそのひとはいうけれど。
世界のすべてでたらめにまわっているとしかおもえないいま。
じぶんの内側からまわってみせるっていうのも、ちょっとし
た生きる術なのかななんて思いつつ。
めまいすることが比喩でもあるようなないような日々を
生きているのはわたしだけじゃないようなそんな気持ち
に駆られてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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