その五八一

 

 




 







 



















 

むすびたい きもちがはやる ただそこにいて

じぶんにとって好ましくないひとにもらった本なのに、
とてもいいことが書いてあって、びっくりした。
書かれていた人のことはすきだったので、ずっと
大事にしている。
ひどいことをさんざん言ったり、ひどい態度で接して
いたそのひとがどうしたことか、本の選び方は、
どういうわけか好みのものが多くて。
いまだにぜんぶ持っていたりする。

油断していたのかと思う。ひさびさに風邪をひいた。
むかしもここで書いたかもしれないけれど、風邪を
ひくとなににもまして、すごく負けた感がして
ざんねんな。
そんな気持ちが襲ってくる。

気持ちがちょっとざわついていて、ざわついていた
ことは杞憂にすぎず、ちいさな結果がでたとたんに、
風邪をひいた。
ほんとうに、なにかみえないものに日々翻弄されている
ようでいやになるけれど。
いや、みんななにかに翻弄されているのだろう。

そういうときは、ちゃんとじぶんのするべきことを
わかっていて、それをかたちにできているひとが喋って
いる言葉なんかに勝手に励まされたりしている。

この間みつけて手帳に記しておいた。
<この世界に普通の私の彫刻があり、しかもそれが私の
かたちだという。世界と私が折り合う着地点が絶対に
ある。それを探るのがとても興味深い時間です>

彫刻家のこの言葉は、写真の横にルーペでみないと
いけないぐらいちいさな文字が記されていて。
きになる文字のことは、どこかないがしろにできない質
なので、おばあさんになった気分でのぞいてみた。

鉄を素材にした作品を眺める。鉄の重力がどこかに消え
ゆくかのように、ゆらいでいる。
世界と私が折り合うってところがとても、よくって。

<折り合う>も<世界>も<着地点>も。

たぶんいまわたしがすごく欲している、えいえんの
ゆるぎない3つの点。この言葉に出逢ってみて、
じぶんの欲しているものを知った。出逢ったんだって、
畳みかけては、ちょっときままにふるえてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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