その五八三

 

 





 





 






















 

問いかけを 探したままで 観覧車乗る

大晦日からなんとなく滑り込みセーフな日々。
あけまして、あけましたになったから、なんとなく
「時」についての、アンディー・ウォーホルの思いが
綴られているページを開く。

<時ってなんだろうって思い>考えていたら、
<時と思ったら過去になってる>ってはじまりで。
時間をもてあます。ということについて語り始め
そういう時に彼は掌紋をみるのだという。
側にいる人に「掌の掌紋がない人がいる」と聞かされて
それはちょうど訪れていたレストランのウェイター
だったので、その人に手のひらをみせてもらうと、
ほんとうに彼のそこには3本のくっきりとした線しか
なかったという話。
ぐしゃぐしゃの線にまみれていたら、心配ばっかり
している意味らしいよと。だからウォーホルは、その
ウェイターの掌紋がうらやましいと声にしてしまう。

そういうところだけはおなじだなって、シンパシーの
シンぐらいは感じていたら、次のパラグラフでは
<時が変えてくれると人は言うけれど、実は自分で
変えなければいけない>
そんなあたりまえなのに、こころにピンポイントに
刺さることばに出逢う。
今年は、いつもと違う神社で初詣をして、おみくじを
引かなかったので、このまっとうな言葉をおみくじの
メッセージのように受け止めることにする。
でも、それはそれで中々きびしいよねって思っていたら、
つづく言葉に気持ちがやわらぐ。そしてすこし笑った。
<毎年同じような問題でみじめになっている人もいるけれど>
そういうときは<ぼくの好きな台詞――だからどうなの>
と言えばいいと。

SO WHAT。
今年の抱負とかにはほとんど興味がないけれど。
このことば、強みだなって。それに偶然だけれど私がとても
信頼している年上の女の人が誰かと言い争いになると。
まっすぐこの言葉を放って、相手が撃沈してゆくのを何度も
目撃している身としては、とっても納得できる。
今年もあれこれあると思うけれど。
言えるものはウォーホルのようにこう言って、すり抜けて
ゆこうと思っている。

ささやかな連歌とエッセイを今年も手探りながら、綴って
ゆきたいと思っています。
2020年も、うたたね日記をどうぞよろしくお願い致します。
今年もみなさまにとって、夢のつぼみが開いたり、
咲きほこったりする1年でありますように。

もりまりこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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