その五八四

 

 






 






 





















 

ひたすらに とけてゆくまで みつめるまなこ

お正月を振り返る。なんとなく、辺りも世の中も例年の
お正月という日常のようで、どこか日常をゆるして
くれないかんじがあるので、ほんとうのところ、
ペースがあまりらしくなくなって、暮らしのリズムが、
ちょっと半音下がるみたいな気分になってしまう。
ただ、区切りは大事だし、あの大晦日がなくってずっと
ピリオドらしきものがなかったら、それはそれで疲弊して
しまうだろうから、このままですきなのだけれど。

夜、すこしクールダウンしそこなって、眠れなかったから、
ふらっとカーテンを開けて夜空をみようと、そっと開けた。
その時、え? っていうぐらい眼の前にまっすぐに月が、
鋭く光っていた。
受け月だった。
月を見るのも久しぶりだな、うわ、受け月だって思ったら、
昔読んでいた小説を思いだしたりして余計に眠れなく
なってしまったのだけれど。

お皿に水がたまるように願いが叶うっていう一文があった
ような気がして。
願うかな? って思ったけれど。不意にみかけただけなのに、
いろいろお願いするのもなんだと思い、そのままカーテンを
閉じて眠ろうとしつつも、やっぱりもういちど見るだけは
見ておこうって思って、ふたたびカーテンを開いて見上げた。

いつか誰かがおっしゃっていた<音でも光でも風でもよい。
この世界の微かな移ろいに気づけること、>っていう
フレーズが去年の終わりぐらいから気になっていて
それは、エドウィン・ハッブルがビッグバン理論に
つながった天体への気づきについての考察の文章だった。
それがどこかに書いてあったはずだと、今再び去年の手帳を
引っ張りだしている。
<地球から通り銀河ほど速い速度で遠ざかっているのを
みつけた。それは宇宙の膨張、ひいてはビッグバン理論
につながった>と記されていた。

夜空をみていると、たぶん今生きている人だけではない
ここにはいないたいせつな誰かとつながっているような
気持ちが、夜の風と共に運ばれてくる。
<ふりだしにもどる>というコマの進め方のような。
扉を開けて夜空をみるって、そういうことかもしれない
ねって、空の向こうの誰かに呟きたくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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