その五八五

 

 




 







 





















 

黄昏を 浴びることなく 黄昏てゆく

だれかのレビューってほんとうは、その誰かの
ものだけなはずだけど。
みんなレビューを読んで、その対象物に対する
その後のふるまいを決めようとしていて。
わたしもそういうところ正直おおいにあるけれど。
 
レビューってなんだろうと思いつつ。
レビューなんて他人の評価でしょと思いつつ
みてしまうし。
と言いつつも、すきなひとの第一行目はとっても
気になるのもほんとうで。
新聞評とレビューはちがうけれど。
評者のお名前をみて、このひととても惹かれるっ
て思って読み始めて、彼が言葉を尽くしている
対象本に対してじぶんもとっても愛している
ような錯覚を感じてしまうこともしばしばだ。
と、思いながら頭のなかをぐるぐると取り巻いて
いるのは、この間見た映画のこと。

ずっとあの映画のことを、書きたいと思っている
のにうまく書けないことも、薄々わかっていたから
そのまま寝かしておいた。
久々だったのだ。映画を観て、ああよかっただけ
じゃなくて。この物語は終わってしまうなんて、
残酷だよ、と。置いてきぼりをくらったのは。
1980年の夏のイタリア。出逢ったその人と別れて
冬を迎えていた。ひさしぶりに電話でその人の
声を聞く彼。主人公である彼は、話をした後
ひとり取り残されたことを、さっきの電話の
ことばをリフレインしながら知ろうとする。
暖炉の灯のゆらめきを、頬に映し出されながら、
じわじわとその人の不在感がまだじぶんのものに
なっていないことも知りつつ、暖炉の灯りを
みつめてる。
そして彼の後ろでは、食卓の準備をしている
食器をセッティングしにきた母親になんどか名前を
呼ばれて。
その声を背中に受けながら、エンディングになる。
母親に名前を呼ばれた時、主人公だけではなく
観ているわたしたちも、ゆるやかに現実を知らされて。
いまという時間の薄紙をゆっくりと剥いでゆくと
そこには、甘美な記憶にまだならないままの、
記憶すら消してしまいたいような時間が戻って
きてるというような。
映画って。じぶんの記憶になってゆくからすごい
って今さらながら打ちのめされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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