その五八九

 

 






 







 

























 

空をみる 首の角度が すきだった日々

なんども、つまづいている。
昨日までできていたことが、もしくはすきだったことが
ゆらいでいる。
ほんとうにそれ、できていたのか、ほんとうにそれすき
だったのかっていうぐあいに。
空足を踏んでるの内訳ってってこういうことなのかなって。

今は正直3月ではないし、4月のあたまなのだけれど。
なんていうか、ここに書いてわたしがなにかを発する
ことになんか意味があるのかなっていうぐらい、
滞っていたので書けなくて。この期に及んで意味とか
言っていることじたいが嫌なのだけれど。
もうすこし正直に言うと、じぶんにとっては大事な
ワーク的な最終段階に努めなければならなくて、
そちらにいつも以上に手間取ってしまっていた。
そして人の書いたものは、むさぼるように読んだ。
読むとこころがぶれるし。いちいち刺さってくる。
そんなぶれた心のまま、思ったことは。
正しく発信すべきひとがするべきであって。
こういう今の状況になんの足しにもならないこと
少なくともわたしは控えるべきじゃないのかとか。

でも、この場所はまぎれもなくライフワークのひとつ
なので、とりあげられたらちょっと困るぐらいなので
遅ればせですが書くことにしました。

紙の新聞をめくる。いつも水曜日の夕刊の連載を読む。
その詩人の方の文章は、日常にスラッシュが入ったような
気持ちになれるから、目で追いかけてしまう。
<他人や世界と距離を空けてしまう「デタッチメント」の
生き方をしてきた>っていうエッセイの一節に目を奪われる。
この一連の出来事に世界が翻弄されているただなか。
これまで以上に人と人との距離に気を付けましょうってことを
専門家の人達がおっしゃっているのを聞いて、じぶんは、
ほんとうに今まで必要以上に人と人との距離を保って生きて
きていたことに気づいてしまったのだ。
みんな集いながらふれあいながらおしゃべりしながら、日々を
生きていたんだなって思い知らされた時間でもあった。
SNSですら、わたしは誰かのお喋りを輪の外から眺めている
ような感じで、決してその輪の中には入って行くことが、
とてもハードルが高いんだなってまざまざと知る。

ただこの数週間、濃いバランスでもっていろいろな方と、
メールでお話した。それが、いつもいじょうにわたしに
とっては免疫力をあげてくれる唯一の方法だと切実に知った。

ほんとうにそれすきだったのか?
すきだったんだってことの輪郭が露になって、じぶんの
輪郭も同時に戻って来たような、指さし確認のような日々。
こんなときに、ここを訪れて目を通して下さったみなさまに、
心より感謝申し上げます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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