その五九四

 

 















 























 

はかないって 水に数書く って知った冬の月

逢いたかったのに逢えなかったひとがいて。
もうこの先ずっと逢えないかもしれないんだって。
そういうことが頭の隅をよぎった。
逢っておけばよかったのかと問われればそうとも
いえないし。
逢ったら逢ったで、すごい失敗をやらかしたまま
かもしれないし。
それはあの日の記憶の中で、ピン留めしておけば
いいのかもしれない。

朝起きると罪悪感で目覚めてしまうことが幾日か
続いて、でもそれもデータのグラフやらなにやらに
まみれているうちにそんな朝の起き方も次第に忘れて
いった。

この間、あるひとの対談をサイトで読んでいて。
<じぶんのことをきらいなたった10パーセントの
ひとのことを気にしてどうする>って書いてあって。
その方は、ちいさなお子さんのお父さんでもあって、
こういう言葉小さい時に聞きたかったって、リアルに
思う。
すごっく共感して、共感した後、もしかしたらあの時の
あの暗黒な想いは、嫌われている人にまで好かれようと
していたのかという事実に今さらながら気づいて、愕然
として、その刹那目の前の空が開いてみえた。

かなり、ここ数年悩んでいたけれど。
こんな輪郭のつかめないこんな時期に晴れた。
晴れるって忘れるってことだ。
買い物を通販にしてからその快適さもさることながら。
置き配してくださる方への感謝の思いをちょっと
伝えたいと思うようになっていたら。
産直の野菜などに生産者のお名前があってその裏や下が
メッセージを書く欄になっていた。
ちいさな紙にお礼を書く。それだけで、みしらぬ誰かの
手を抜かない毎日があるおかげで日々の暮らしが成り
立っていることに感謝する。
こんな日々だからこそ、伝えてゆくって大事だなって
思う。
この間、ある方が<感謝と恐怖は共存できない>って
インタビューに答えていらっしゃって。
その時の言葉をかみしめるように、一文字ずつしたためた。

ことばに気圧されて撃沈しそうだったから。
すきだったものもきらいになりそうだったから。
ことばってこんなふうに使えばよかったんだって
基本に返り。かつあたらしく邂逅してるようなふしぎなきもち。

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