その六〇〇

 

 






 





 




















 

ひたひたの 器のなかを すきでみたして

5月って、ほんとうになんかわけがわからないほど、
くさくさしていて。
身近な人にやさしくできないでいて。
語調も乱暴だったりしたと思う。

止まっていたものが動き始めますっていう時期だったから。
じぶんでも、戸惑っていたし。
またなにかを1から築き上げたりするのは勘弁してほしい
って気持ちもあった。

来し方行く末っていうけれど。
ほんとうにわたしの来し方、なんだったんだっていう感情に
まみれていた。
そういう感情にむだにいっぱい付箋がついている感じで。

感情の器みたいなものがあふれてるのか、乾いてひかひか
しているのかわからないっていう。

そんな時、いつもずっと愛読していたサイトが相当な年月を
経ておめでとう周年だったので。
いつも通りメールをさしあげた。
書いていると、落ち着くので。ほんとうに、まるくなれるので。

深夜。
映画「きみの鳥はうたえる」を夢中で見入っていた時、気になって
いた彼女がバイト明けでさよならって言った後、主人公の「僕」は
賭けにでる。

数を数えてみる。何秒かで彼女が来るかなって。
来ないかもしれないのに、来たらいいなみたいな感じで数をカウント
していた時。113秒、114秒。その時、

メールが入ったお知らせ音が鳴った。一瞬その音は映画の中の
ものかと錯覚するほどだったので、よく把握できなくて。

だいすきだった人から20年ぶりぐらいのメールだった。
そのタイミングにも驚きつつ、うれしくて。体温が若干ヒートした。
とてもシンプルだけど、今後の決意のようなものがそこに綴られていて。

そこには確かな緊張感が伝わってきて。
うまくいえないけれど、その方の仕事や人に対する姿勢みたいな
ものがふいに深夜、しんしんとしみてきて。

そのかけがえのない1通のメールの力たるやすごいもので。
その後、やるならやるで胸張って行こうみたいな気持ちが、急遽、
湧いてきて。

こんなに、人とふれあうことにためらいがあるこの頃なのに、
ちゃんとこころ届きましたって気持ちになっていることが、
どこか今後のエンジンになっているといいなって。

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