その六〇一

 

 






 



























 

行き先を 教えてくれる 初夏の風です

なにかと触れちゃいけないっていわれ。
言われ続けて。
そんなに苦痛じゃないかもしれないって思っていたのは、
ちょっと甘くて。

人と人とのディスタンスそれもオッケーって思っていた
じぶんもいたけれど。
この数か月、ふりかえってるのか繰り返してるのか
わかならいけれど。

なにかに触れるたびに、齟齬を感じつつ。
新聞の読書欄を見ていたら。

「美しい痕跡」という、イタリアのカリグラファーの方の一冊の
書評が目に留まる。

すきな評者の方だったので、いつも最後までとっておいて、
見ないようにして、いちばんおしまいに読む。
すきなデザートは、最後にゆっくり食べるっていうあれです。

その一冊は、書くとは、手で書くとはどういうことかってことが、
綴られていて。それは、

<書き文字には私の思考が映る。いやむしろ、書き文字は私の
思考そのものと言える>

という箇所を引用しながら、作者は書くという行為がじぶんの
存在理由のためにあるのだと、説く。

今は、こんなふうにタイピングしているけれど。
筆記用具を用いて書いている時は、紙とじぶんの指と頭が
一直線に結ばれたような気がする。

わたしは、高校生の頃。
あんた、これからどうするねん、なにがしたいの? って、担任の
先生に問われた時、1つだけ答えた言葉を思い出す。

書いてゆきたいです。
そう答えた。
作家とかか?
って問われたので、首を横に振って、ただ書きたいんです。
って言った。
じゃ、書道家か?
って畳みかけられたので。
そうじゃなくて、ただ文字を書いていたいだけです。

あの頃、いろいろあってただ文字を紙の上に書いているだけで、
とても心穏やかになったし、無心になれたし、嫌な出来事の記憶
から逃れられた。

手で書くことの効用みたいなものを、あの時知ってしまったのかも
しれない。
その時は言語化して、じぶんの中で納得させるっていう方法を
知らなかったけれど。
紙に触れて書くっていう行為には、予想以上の力がそこに
備わっているんだよってあの頃のじぶんに言ってやりたい。

タッチレスな世の中だからこそ響いてくる本だなって思う。

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