その六〇五

 

 




 







 




















 

にんげんを 主語にしている 手を振りながら

ちょっとうたれ弱いから、なにかあると、すぐにその場所から
退きたくなってしまうし。
しばらく、そのことを考えていたら、いいことがあったことも
ぜんぶ違う色に塗り替えてしまいたくなる癖があるから、
気を付けることにする。

ここ数か月まえぐらいから、いろいろなコミュニティに
参加していて、そこはとても快適な場所だから、
いつもそこに身を潜めたくなる場所になりそうで
その距離感に気を付けないといけないなって、自戒しつつ。

にんげんの数だけいろいろな意見はあるし。
まったく一緒でまったく違うひとなんてあんまりいないだろうし。
かぶってるところはかぶっているし。
だからといって、すべて折り合えるわけではないし。
ちがう思いのなかにいても、その姿勢にほれぼれして
味方になりたくなることもあるし。

<自分がだれかを知り、自分がなにをやっているかがわかっている
画家はいない>

ってデュシャンが言っているらしく。

画家ではないけれど、にんげんってぜんぶじぶんを把握している人
なんていないだろうし、そういうひとは遠めにみて、
そういう人がいるなってただ思いたいだけかもしれない。

悩んでいるのか、わたし?
きのうまで、いやさっきまでほんとうにハッピーだった。
摩擦のない世界にただいたのかもしれない。

それが悪口なのか、意見なのかわからなくてちょっとスルー
しておく。
いつも気になるライターの方、武田砂鉄さんが、書いていらっしゃった。

<人は、過去現在未来が頭の中でキレイに整理されていると思いこむ。
実際はまじりあっているはず>

一直線上に記憶がレイアウトされるなんてことはないはずだし。
たぶん今日の齟齬を憶えた出来事もいつか、明日の今頃にはきっと
忘れているだろう。

じぶんだって、誰かを傷つけているかもしれないわけだし。
言葉ってやっかいでほんとうに時々いやになるけれど、
舌の根も乾かないうちに、またすがっていたりする。

言葉で傷ついたときは言葉で癒そうとするんだなって。

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