その六四三

 

 








 







 





 

溶けてゆく 記憶の中で 夢を見ている

まだ紙の新聞を取っているわたしは
どこかにあの切り抜きがあったはずだと
さがしていた。
思いがけず手帳の、6月あたりにはさんで
あった。

ひとりぽつんと、ぽつねんとここにいたって、
ことばなんかにはならない。
わたしが何かを言う時はきっとその向こう
側にはたくさんの人のことばが混じっている
はずなのだ。

じぶんひとりのことばなんて、たかがしれている。

いつもそう思うから、わたしは誰かの言葉を
掴まえに行こうとして、するりとかわされて
しまうけど。

やっとみつけたその言葉の前でわたしは
立ち尽くす。

「なにかを うまく いいあらわせないことが
あっても、
あわてず どうどうと していてください。」
絵本『たいせつなわすれもの』森村泰昌より。

わたしがいつも好きで切り抜いているのは
言葉のコレクションをされている
鷲田清一さん。
「折々のことば」で紹介されていたのは
真夏の真っただ中だった。 
「あなたは他人をたやすく打ち負かすほど
豊かな言葉を持っていないかもしれない。」

なかなかいつも意見が言えなくて、
かたまってしまうのが常だよと
かれこれ15年以上続いてますよと
つっこみながら。

でも夕陽を見た時、その美しさに声もでなく
なる経験をした。誰かに死なれた時の、
言葉にならない悲しみも知っている。
夕陽と誰かが死んだときのことを
いっしょに並べないでほしいと
思いながらも、この言葉には冒頭に引用で
くくった

なにかを うまく いいあらわせないことが
あっても、
あわてず どうどうと していてください。
へとつながってゆく。

 

夕陽の美しさも、人がいなくなることの
からっぽもそのふたつをわたし知って
いるって心の中で繰り返しながら次の
言葉を待っていた。
それはなにより「ことばの おもさや こわさを
かみしめている」ということ。
          『折々のことば』鷲田清一

わたしの言葉ってなんでできてるんだろう。
そう思いながらいま思う。
じぶんひとりじゃなくて、いつも誰かの
言葉がなければ、言葉を綴れないのかも
しれないって。

 



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