その六五〇

 

 













 






 

きみの言葉 降ってくるから 傘をさしてる

「物でも人の生き方でも美しいなと思うと
一呼吸おいてこれでいいのかと思うのは何故
だろうどこにも悪が見えないと不安になる
ほんの少しでも醜いものが隠れていないと
本当でないような気がする」

谷川俊太郎さんの新聞の連載「どこからか言葉が」
の中の「わざわざ書く」というタイトルの詩だ。

この言葉の並びに心を覗かれたような気持ちが
してずっと気になっていた。

こういうところわたしの中におおいにある。
あまりに優しい人に会うと、どこかでバランスを
とって生きて言って欲しいと思う。
優しくない人は嫌いなくせにそう願ってしまう。
営業スマイルだと知って安心することのほうが
落ち着きがいい。

犬の気持ちはよくわからないけれど。
犬たちが飼い主の言うことを聞きすぎて従順に
見える時には、もっとわがままいいなよ! ってな
気持ちになる。
もっと飼い主を困らせなよって。もしかしたら、
小さい時に母親が他のお母さんと喋ってる時に
「育てやすいいい子でよかったね」って
よその子供のことを言っているのを聞いた
せいかもしれない。

育てにくくてごめんねみたいな気持ちが
ずっとあったのかもしれない。
今は流石にそこにとどまっていないから
平気だけれど。
探ればそんなことだったのかもしれない。
そして谷川さんの詩を読み進める。

「自然を目にするときは違う
不安も何故もない
雨が降っても風が吹いても
自分が今そこで生きているだけ
無限の自然が自分を受け入れている
と言うより自分が自然の生まれだと知って
そう思える自分が嬉しい
心は雲とともに星々とともに動く」

なんて風通しのいい眺めだろう。
じぶんがひとつの木と変わらないとおもえる
ぐらいの清々しさ。

人間世界に疲れているのかもしれない。
みんな疲れているよね、大なり小なり。
そして谷川さんはこう続ける。でもなんで
わざわざ書くのかと思う言葉を自分の中に
取って置けずに溜め息がでそうになる。
書いている人達はみんなそうかもしれない。

心の中の言葉をどうしてじぶんだけの
ものにできないんだろう。しまっておけないんだろう。
不思議だなって思う

谷川さんの詩の冒頭のようなことは心の中で
しょっちゅう想っていることだ。
自分のことは、ま、我慢するかってなるけれど。
誰かが悩んでいたら、もっとわがまま
言いなよっていつも言ってる。
言えない時は心の中で言ってる。

 



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