その六五一

 

 






 






 






 

わからない でも知りたいと うなづきあって

それわかるよ、すごく好き。
いいね、書いてくれてありがとう。
心に沁みました。
共感しました。
どれももちろん否定されるより
うれしいし、こういう言葉を頂くと
また明日も書けるかもしれないって
勇気になる。

書くってまだまだわたしにとっては
勇気を奮い立たせるための理由が必要で。

それいいねって言われることがわたしを
確実に前に進ませていた。

ずっと否定されることばかりだと思っていた
から。
SNSからなるべく離れた場所でじぶんを
守りながら暮らしていた。
共感とかシェアとかはちょっと遠めにみて
いたところあった。

昔なら、わからないって言われたらわたしは
全否定されたような気持ちになっただろう。
でもその方との濃い時間のコミュニケーションを
やり取りする中で「わからなかった」って言って
くれる人がいるってありがたいと思った。

「よかった」は、相手との時間の密度はさして
関係ないかもしれないけれど。
「わからなかった」が言える関係って、かなり
密度が濃くて、その中でお互い信頼してきた
時間があることの証にちかいなって思った。
そして、これは酒折連歌賞の選考会でも同じだ。
とある先生とご一緒している時に、ぼくはこれの
良さがわからなくてって仰る。

その時にわたしの感じたままここがよかったって
お伝えすると。
その先生は、あ、そういうことかって。そういう
物の見方ならぼくもわかるなって納得されて。

経験値が違うにも拘わらず、そういう時はいつも
わたしの意見を受け入れようとしてくださって。
好きな世界が、ちがうことをお互いにもちより
ながら、ひとつの到達点をみつけるのが
先生とわたしの仕事なのだと気づかされる。

そういう一瞬を迎える時に、話しながら
お互いの価値観の違いを見せあえる時って
ちょっと達成感を感じることが多い。
わたしは知らず知らずのうちに信頼でつながった
人達からの「わからなかった」という言葉を
「わかります」とおなじぐらいの、スタンスで
受け入れていることに気づいて、
ちょっとうれしかった。

 



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