その六六七

 

 





 






 





 

みつからず 風のまにまに 吹かれてゆくよ

朝の新聞を、周回遅れで読んでいたら
今日は5月18日だから、ことばの日だよって
書いてあった。

少し忘れたいのになっていう時もあって。
いつも仕事で向かい合っていて、日常もSNSの
テキストを読んでは言葉にさらされている。

わたしはずっとなにかに迷い込むのがすきだった。

人の中に街のなかに時間のなかに。そして言葉の
なかにも。

本棚のガラス戸のなかに言葉が待っていて。
ページを開いたときにしかそれは、なにも言って
くれない。

本を読むという能動的なはたらきが起きてはじめて、
言葉が動き出す。

震えながら迷い込んだそれのなかに。過去の痛みを
なぞらえられて、いっそ嫌いになりたかった言葉に
もいくつも出会った。

そんな言葉に出会った時、わたしのいまの読みほどく力で
間に合っているのかわからなくて、迷っていた。

そして、やがてそれはじぶんのなかに馴染んでゆく。

嫌いはきらいなりに。
好きはすきなりに。
言葉を伝えたはずなのに、ちゃんと
伝わらない言葉もある。

ありがとうも、さよならもいずれに
してもその意味を携えて届かなければ
ことばはことばとして不憫だと思う。

きっとSNSのあちらこちらでそんな
齟齬を覚えたことばたちがゆきかっているに
違いない。

曲解されたり、誤解されたり、そうじゃないん
だよって、言葉を発したり。

人間じゃなくて、ことばじしんがそう叫んでる
かもしれない。

狂おしくもなく、誰の胸にも響かない言葉をまの
あたりにして。

言葉は言葉の役目を終える。
生きたまま終わることば。

死んだまま終わる言葉。
でも、そんな言葉の日だったのだから
ことばじしんが、ことばであってよかった
って思えるような、時間を過ごしていたら
いいのになって、ちょっと思う

ことばの日がおわっても、またあしたの
ことばもつづいてゆくね。

おつかれさま、今日のことばたち。

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