その六七三

 

 






 







 







 

ちいさな秋 みつけたみたいに きみをみつけた

相変わらずことばに翻弄されたり背かれたり
いろいろとしているけれど。

近頃は人間関係がこの2年で変わってしまった
ところもあって。

人と人のあいだにある言葉のことがむかしよりも
気になるのかもしれない。

SNSの言葉は、ふいに目の前にやってきて、
そのテキストや画像の強さだけを放って
散ってゆく。

タイムラインはすこし暴力的に映るときも
あるから、デジタルデトックスしたりしながら
心地いいひとたちとだけ付き合うようにしている。

内田也哉子さんの著書『ペーパームービー』を
読んでいたら、この相手なら自分を委ねられると
いう基本的な信頼感があるからこそ、不協和音の
バリエーションを楽しむバネにもなってい。

そんな彼女の言葉に出会って、真逆から差してきた
光に出会ったような気持になった。

信頼って、自分が相手を信じる前に自分が相手に
ゆだねられるかどうかなんだなって。

これは逆立ちをふたり一組でするときにも似て
相手が受け止めてくれると信じているからこそ
身体まるごとさかさまになることができるのだと
思う。

少し迷った時にわたしは内田也哉子さんの
ことばにじぶんから会いに行っているような
そんな気がする。

探しに行くというよりは、ふれにゆく。
そこで触れたものだけが、じぶんの身の内に

そっともぐりこんでくような温かさがある
TOP