その六七八

 

 




 






 





 

かけのぼる 季節のように 虹をみている

秋のこと、夏よりも好きなくせに
夏が去って行って寂しいとか平気で
行ってしまうきみがすきなのだけど。
わたしのハンドルネームだけを知ってる
きみはわたしのほんとうの名前が夏だと
いうことを知らない。

八月がやるせない雨でおわってゆく。
遠い昔訪れていた恵比寿あたりにつく迄
はじめて湾岸線から東京の街を俯瞰した
ことがあった。

ぐるぐるとうずまくような高速道路を
走っていると、身体がいつのまにこんなに
高度な場所へとつれてこられたんだろうと、
栞は時間が後戻りするようなへんな感覚に
取り囲まれていた。
どこがはじまりでどこが出口なのかわからなく
なるような錯覚。

生まれ落ちたのは北の果てだ。
今は地球の果てに住んでいるのだ。
あの高速みたいならせんをじぶんも
描いているのかもしれないなってそっと
そのうずまきを重ねて見る。

ひとはみんなひととして、いろんなちがう
人や場所やことばとかかわりながら、
建造物なんかでは描ききれないぐらいの
らせんを描いているのかもしれない。

路地裏の猫が歩いているようなアスファルト
あたりに、もし文字が落ちていたらとりあえず
拾うだろう。
そのままコートのポケットの中にすんと入れて
また歩き出す。
昔、子供の頃に友達のお母さんからもらった
キャンディをその場で食べられなくて、とりあえず
ポケットに入れたときのように。

例えば、ぴちゃぴちゃにひしゃげた青と白の
しまもようのてらてらの包み紙が、
いつまでも忘れられないようなところがあって。

そのぐちゃぐちゃになってしまった飴玉が
残像として、そこに居座り続けることが、
もしかしたらじぶんにとってのことば
なのかもしれない。

ことばを時々呑んでしまいたくなる。
きみが傷ついたようなことを言うから
その言葉をまるごと呑んでしまいたくなる。

嘘ついたら針千本飲ますってあの詩を聞いた
時、おとなになったら針を呑むだろうと
ずっと思っていた。

おとなになってもそんな機会はなかったけど。
今、きみのかなしい言葉をぜんぶ呑んでも
いいよ
そんな季節をそっと迎えていた。

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