その六七九

 

 






 




 





 

雲と雲 流されてゆく 古の街へ

広告の仕事にまみれていた頃は
空をみあげるってことほとんど
してこなかった。

今日は星がでていたよとか朧月夜
だったよって今夜みあげた空模様を
教えてくれることがあった。

そうか、母は空を見ていたんだなって
思いながら、

わたしは朝の空も昼の空も、夜の空も
見上げている暮らしから遠ざかっていたと
気づいた。

明日は少しでも空をみようと心に
決めたことを思い出していた。

SNSではみんながみた空の画像が
タイムラインでよく流れてくる。

みんな視線をそこに集めてスマホを
カシャってやってるんだなって思うと
みんな生きてるんだなみたいな気持ちに
なって、すこしわたしも明るくなれる
気がする。

ある日母が言った。

小さい時はいつも穏やかで笑っていた。
美味しそうにごはんを食べて健やかに寝て
履いてる靴からきゅって音がするのを
確かめては隣に住んでるお兄ちゃんに
聞かせに行ったり。

わたしの表情が曇りだした頃に聞かせてくれた
話だった。

10代になってあんな表情が日々続くなんて
こと考えたこともなくてと、ぽつぽつと
話してくれた。

その頃の思いを振り返りながら
母は言った。

くしゃくしゃになりすぎたハンカチのしわが
いつか戻るんかなっていうぐらいの
ニュアンスで言っていた。

重たい話を日常の軽さで、処理してくれた。
心をこめすぎないみたいなところが、
時にわたしの気持ちを軽くしてくれる。

じめっとするな、くよくよするなって
いうのが母の根っこにあった。

笑っていないとみんなを悲しませると、
知った。

でもできない日のほうが多くて。
野生の心のまま暮らしていた。

それをよく我慢して受け入れてくれたなと
いまになっておもう。

ある日の空をみる。

太陽が輝いていた。
曇りの日の方がうれしかったあの日が
今遠くにあることがいちばんうれしい。

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