その六八九

 

 






 





 







 

生き物と いうときの吾 糸はりつめて

何かに夢中になった後って
ひとりぽつんとしたくなる。

笑ったあともそうだけど。
ぽつんと立ちすくんでいたような
記憶がある。

そして、猫のようにその輪から外れて
しまいたくなる。

それとは逆に怒りたいようなことだって
突然やってくるから。

悲しみのあとわたしは怒りがやってくるのが
常で。

そうすると、またひとりになりたくなって
その輪からはずれようとする。

変な癖もしくは業だなって思う。

そして、わたしは狩りにでかける。
みあった言葉を探す狩りをしにゆく。

それはたいてい深夜で、しんしんと
あたりが静寂に包まれるような時間で。
みつけた!

ユリイカ!ってなってた!

アーカイブスの録画してあった番組の中で
ある言葉と出会った。

<すべての魚 すべての生き物 あなたにもテリトリー
意識っていうものがあるわけ。ご家族とかね。ご家族の
中にも自分のテリトリーってってのがござんしょ>

これは開高健さんが最後の旅で遺した
ドキュメンタリ番組、『釣って食べた生きた』の中での
インタビューの言葉。

改めて、開高さんのおおらかさと繊細さが
ないまぜの彼の肉体から発せられる言葉に
くぎ付けになった。

テリトリーって、魚や鳥やけものたち、
人間以外の専売特許のような気がして
いたけれど。

そんなことはぜんぜんなくて。
ちゃんと人のなかにも、みえない縄張り
みたいなものを張りながら、みんな
生きているわけで。

仕事の中のテリトリーもあるし。
それで言い争いになることだってある。
家庭のなかにだってあるし。
そして、SNSの中にだって歴然と
テリトリーは存在している。

ちゃんと、それぞれのテリトリーを守って、
相手のテリトリーも尊重している時は、
ここに共存していられるんだと思う。

でも、人ってそれぞれの物差しは違うし、
時にはぶつかりあうし、背かれるし、
ぶつかったつもりでもするりと
かわされて、すりかえられたりするし。

時には心の中に土足で踏みにじられたりも
する。

笑った後にひとりになりたくなるのも。
「犬好きも猫好きもどこか病むか傷ついている
かという点では、完全に一致しているのではないか」。
『漂えど沈まず』のこの言葉にひょうひょうと
身体も心も抱えられたような気分がしている。

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