その七〇八

 

 





 








 







 

傘の中の ふたりきりに なってゆく夜

少し前、ひとりで風邪をひいていた。
部屋の中にはSpotifyとか
テレビとかスマホからでる音以外は
わたし発の物音だったりする。

廊下を歩く音。

お茶碗を洗う音、キーボードをカチカチ
やってる音。

スイッチをぱっちんって消す音。

咳をしてもそうだし。
歩いてもそうだし、鼻歌だってそうだ。

風邪を引いていると。心細いということもある
けれど、ぜったい治すぞみたいな気持ちにも
なって、ちょっと強気になる。

風邪を引くと、負けん気が強くなる。

昔、風邪を引いた時はぜったいそばに
誰かがいた。

もっと子供だった時は母がおうどんの
卵とじみたいなものを作ってくれた。

弟とおそろいのお皿にはパンダが笹で
あそんでるデザインが描かれていて。

そのパンダの絵柄がみえるころは悲しかった。

もうやさしい時間が終わってしまう気がして。

そして母は翌日あたりから、わたしの日頃の
生活態度がいけないから風邪をひくという
お説教の時間になるのだけど。

風邪を引くとやさしくされた日のことが蘇る。

そして同時に思い出すのが尾崎放哉のあれ。

咳をしてもひとり

あれはほんとうに傑作だと個人的には思うけど。
若い時は思ってなかった。

この間、深夜にそんなことをつらつら
考えていて。

あの句が「ひとり」だからそれは「ひとり」感が
みなぎっていはいるけれど。

あれをちょっと味変のように、二次創作して
咳をしてもふたりにしてみたら。

この世の中でふたりぼっちであることを知らせる、
いろいろな物事から孤絶しているふたりみたいな絵が
浮かんできて。

この切なさは嫌いじゃないなって思ったりしていた。

ふたりで咳をしてる音が部屋いっぱいにひろがって
いるなんて、心細い。
こころ細いけど、ふたりで生きてゆくのだ。

ふたりという世界でいちばんすきな単位。

悲しくて切なかった。切ないという感情の裏側には
愛おしいも隠れているから。

咳をしてもふたりだけど、咳のことよりも
わたしたちはふたりになれたんだよって
きっと思うような気がする。

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