その十四





 






 






 

ゆるんだねじをたずさえた生き物がそこにいる。
ストッパーをはずしたピアノがメリーゴーラウンドに
まぎれこんだみたいにジャジ−な音と共に大きくゆらぐ。
それを奏でる男も楽し気にくるくるとその上で終わらない円を描いている。
海の上は大シケで、立ってられない程にゆれる船の中で
ピアニストの男はそうやってピアノをつかのますてきな乗り物に変えた。
この間見た映画で大好きだったシーンはこんな感じだった。
めくるめくスピード感に包まれると、すべてを忘れてしまえる至福の時間が
訪れることをそのときすこしだけ覚えてしまった。

海の上でうまれそして海の上で死んでいったひとりのピアニスト。
すこし前に見た映画なのにいつまでもわたしの中から
去ってくれないのは、主人公が云った台詞のせいかもしれない。
映画の台詞なんぞを気にしだしたらそれはきりがないのは
承知なのだけれど。 彼はわたしに疑問型のことばを残したまま
そんな後ろ髪ひかれるやり方でいっちゃったのだ。
ピアノの前にすわった彼は云った。
『無限なのはこの88の鍵盤を組み合わせて奏でられる音楽のほうではなく
きっと弾いている人間のほうが無限なのだ』・・・。そして
『音楽は弾けば終わるのに人生は無数の選択を死ぬまで続けてゆくことだ』。
船を下りれば選び続けなければいけない人生が待っているなんてつらいから
僕はこの船の上で死んでゆきたい・・・と。

台風の日の回転木馬になったピアノと彼と。
そして暗示めいた88という無限を意味する鍵盤の数。

彼の終わらせ方はまったくもってわがままでちょっと殴ってやりたいぐらい
ろまんちすとだけれど、急にわたしは映画の中の彼を映画の中で失って
はじめてせつないほどにすべてに限りあることを知らされた。
彼の鍵盤をあやつる指もからだもぜんぶ失ってはじめて
ほら人にも限りはあったでしょと教えられたのだ。
ほんとうはそれを痛いほど知っているのは彼自身だったはずなのに、
生きているままではかなしいかな
そんな安らぎをわかちあえない矛盾を知った。

音楽は有限だと嘯いていた彼、
ぜんぶ知ってるくせにそういうことを云うなんて、どうして?
でも何百歩も譲って彼がほんとうの気持で云っていたのなら教えてあげる。
曲が終わるとたちまちわたしたちの物語は始まって。
音の断片をみみやからだのいろんな場所でつなぎあわせて
他愛もない感情を募らせて無限を見ようとしたりしています。
たとえ音楽がからだに突き刺さったまま痛い目にあったとしても
でもそれがやっぱり好きだから死ぬまではぐるぐるそうやって
廻り続けてゆくんです。
すてきな曲をみちづれにして一瞬のなかに無限を感じたまんま。
終わらせようとしないのは、そういうことがつらいけど好きだから。

       
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