その二七







 






 






 

片方の 耳をおさえて とじこめたいよ

受話器をとると、おなじみのまちがい電話がかかってきた。
わたしの電話の前の持ち主は<さくらさん>というらしい。
さくらさんですか?
とみな信じて疑わずに言う。
はじめは<さくらさん>という女の人が住んでいて
彼女へダイヤルしているのだと思っていた。
すてきな名前さくらさん、時折頭のすみに
<と>のつく大きな家出癖のお兄さんの妹さんを思い出したりして。
でもある日の電話口で男の人は、はっきりと訊ねた。
<そちらは居酒屋さくらさんですか?>・・・と。
さくらさんという名前の前にはお店の名前がついていた。
我が家の前の電話番号の持ち主は結局飲み屋さんだった。

まちがい電話はいつも唐突だけど。
1回だけすてきなまちがい電話を耳にした。
まちがい電話がすてきだったというとおかしいけれど
その声がわたしの耳ととても好相性だったのだ。
低くてハスキーなのに影のない声。
なんか<明日に向かって撃て!>って感じの明るさを纏った声。
彼は受話器を取ったわたしを娘さんだと思って喋っていて。
わたしは彼の娘さんじゃないので電話を切らなければ
いけなかったのだけれど、ほんとうのこというといつまでも
娘さんのふりをして、会話しつづけたいぐらいだった。
わたしの耳がなんとなくそんなそぶりをしていた。

そういえば祖父はいつもわたしの耳もとで話をしてくれた。
耳もとで話さなくてもいい話をわざわざ秘密の話みたいに
こちょこちょとささやく。
わたしがくすぐったがって、からだをへなへなにしてゆくのを
面白がっていたのだ。
声は耳の側で聞くとこころの大切な場所に積もって行く感じがする。
だいすきな人の声をくり返し耳もとで聞いているだけで
しあわせな日は、時折音楽とおなじぐらいしみてくることがある。

       
TOP