その三六






 






 









 

しがれっと ほたるみたいに 光る夜です

わたしはいちにちのなかでいちばん夜を贔屓している。

夜の車窓からみるマンションの灯りを見ていると
ずっとみなしごだったこどものように郷愁をそそられたり

夜の公園でぶらんこがひとりゆれているだけで
いまそこにいたはずの誰かの気配を探したくなる。

黄昏れた時間を得てゆく夜を仮に
先天性の夜だとしたら後天性の夜という装置も否めない。

すこしむずかしい名称をつけたくなったけど
つまりほんとうは真昼なのに偽物の夜をつくりだしている
空間も大好きだったりする。

上映時間ぎりぎりにすべりこむ映画館の闇のなかでみる
光と影。

ほんとうにうそっぱちなのに騙されてもかまわないと
思わせてくれるぷらねたりうむ。

ただこのふたつはリスクが伴う。
映画館や館内を出たあとのことを計算に入れておかなければ
ちょっとわんつーぱんちを喰らってしまうことを・・・。

朝や昼間は物思いにふけったりすると
だらしない人のように思われそうなので
なるべくしないようにしているのだが、 夜になると
わたしはいちもくさんにこころが駆け出したくなる。

そして、ほかの時間帯よりもことばが生まれてくる錯覚に
捕われる。

あたまの中でいくつものことばが渦を巻きながら
夜の深い場所へと迷いこんでゆく。

見えない便せんで見えないとっておきのペンで
文字を綴っているような感じなのだ。

もういくつもいくつも投函しない手紙を夜を徹して書いてきた
ような気がする。

いつかある人から<夜生まれたことばは盗まれやすいよ>と
聞いたことがありました。
あなたのことばも夜うまれるのですか?と聞いてみたかったのですが
ちょっと勇気がなくて聞けませんでした。
今日産まれたそんな言の葉は拙すぎるものかもしれませんが
どこのだれにも奪われませんように。

わたしはいちにちのなかでいちばん夜を贔屓している

いやほんとうは贔屓しているのではなくって
誰よりも夜に贔屓されたいと思っているのかもしれない。

       
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